プロメテウス

公開前の盛り上がりが一転、公開するや否や評価が大きく割れた問題作、『プロメテウス』を新しく入った39型テレビのこけら落としとして(?)鑑賞。
いまや巨匠になってしまったリドリー・スコットの堂々たる映像は素晴らしく、エイリアンシリーズの前日譚として、またリドリー・スコットのフィルモグラフィにおける「キューブリック志向」の集大成として、そしてもちろん『アバター』以降の現代SF映画として、文句ない水準に達していると思う。
リドリー・スコットが初代『エイリアン』や『ブレードランナー』で提示した未来ビジュアルは本当に鮮烈だった。ギーガーやシド・ミードを起用した独創的なデザインと、湿度が高く薄汚れた世界の肌触り、夜の闇に赤や青の光が映えるライティングの鮮烈なイメージ、どれも本当に数多くのクリエイターに影響を与え、あまたのフォロワーを世界中に生み出した。
最近、そのスコットの「薄汚いけどカッコイイ未来イメージ(黒)」と、キューブリックが『2001年』で提示した「清潔で幾何学的な未来イメージ(白)」をともに咀嚼し、対比的に扱うSF映画が出てきた。『マトリックス・リローデッド』に始まり、最近の『オブリビオン』や『エリジウム』などがそう。
そして本作も、なかば当然のように「キューブリック調」の無機質な白ビジュアルを冒頭から見せ付ける。プロメテウス号の左右対称な船内で生活するアンドロイドの姿は、『月にとらわれた男』同様、その不気味な無機質さと静謐さでいやがおうにも観客の緊張を引き出していく。その世界に、「黒」が入ってくる。有機体の、ヌメヌメした存在感がまとわりつく。無機的な美しさを見せるメカニックが無様に破壊され、絶叫と悲鳴が交錯する。なんだよこれ!ぜんぜん『2001年』なんかじゃないよ!『エイリアン』そのものだよ!!
スコット作品『G.I.ジェーン』を髣髴させる腕立てシーンで登場のシャーリーズ・セロンにくらべ肉体面で一見劣っているように見えるヒロインは、角度をちょっと変えると『エイリアン』当時のシガニー・ウィーバーにびっくりするほど似ている。本作では彼女はリプリーに劣らず…というレベルじゃなく、けっきょく最終的にもはや肉体的にも精神的にも映画史上もっともタフではないかと思われるヒロインを演じている。宇宙の片隅で、エロい宇宙怪物相手にとことんまでバトルしまだ向上心を失わないヒロインこそが「エイリアン」シリーズなのだよ、というスコット翁の高らかな宣言が聞こえてきそうだ。
言ってみればこの映画、A級SF映画が徐々にB級ホラーSFにシフトしていく映画なのだった。普通は逆だろうに、それをやってまったくはばからず、それどころかまたしてもエンディングをブン投げて続編作る気満々のサー・リドリー、もういい年なんだから*1いまさらなデニケン的設定を弄ぶのはそこそこにして、やるんならやるでちゃんと完結までケツ持ってくださいよ!

*1:ちなみに先日引退を表明した宮崎駿より3つ上