オデッセイ

こないだの『インターステラー』でいかにもクリストファー・ノーランの好きそーな人間観「いかに有能で優秀な人間であっても希望を捨ててしまったらクズ人間なのだ」を体現したクズ博士を熱演したマット・デイモンがまたも宇宙に取り残されてサバイバル。原作はSF界隈を越えて米国ではブームになったらしい小説ということで、お話のシンプルさの割にはビックバジェットの投入されたイマドキのSF映画になっている。で、その監督がリドリー・スコットということで、老いて益々ビジュアリストとしてのキレを増すスコット翁らしく画的には文句なし、そして『プロメテウス』でも見せた「逸脱」は今回も健在で、やっぱり一筋縄では行かない作品なのだった。
とはいえ本作、なにが逸脱=イレギュラーなのかというと、その圧倒的なまでのドラマ性の欠如。原作がよく比較されたジョン・キャンベルJr.の古典的名作SF「月は地獄だ!」や、宇宙における一人サバイバル映画の極北『ゼロ・グラビティ』、なんならマクラで触れた『インターステラー』など、胃にクるよーな極限状態で徹底的に「死」にニアミスし続ける作品群にくらべ、ドラマチックな≒いまにも死にそうなシーンが作中3回くらい、結構長尺な映画にも関わらずたぶん正味で10分ほどもない。
ここらあたりの感覚は、アメリカ人にとっての懐メロがかかりまくるという点も含め、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』などとも近く、ジャンル映画的な「事件」は起きるものの、物語の力点はそこにはなくキャラクターの日常にこそフォーカスするという「キャラ萌え系」とでもいうべき近年のトレンドに見事に合致している。
死と隣り合わせのはずの「火星のサバイバル」が本作で日常になってしまうのは、基本的に登場人物がみな有能で、彼ら彼女らの問題解決能力はメチャクチャ高いことに起因している。スティーブ・ブシェミケビン・ベーコンといった人災要員*1もキャスティングされておらず、終始「うん、この人たちに任せておけばまぁ大丈夫。ダメだったとしてもこのベストメンバーでそうなら仕方ない」と思わせるだけの、信頼性の高い、プロフェッショナルな仕事が画面に横溢しているのだ。
じゃあこの映画、ヌルくてヌルくて見てらんないのか…というとさにあらず、そのヌルさも含めて非常に心地よく、ストレスなく見れてしまった。それもそのはず、本作ゴールデングローブ賞の作品賞を受賞しているのだが、なんと「ミュージカル/コメディ部門」なのだ!
というわけで、ギーク万歳な理系SF映画に、重厚なドラマ性どころか徹底的な「軽さ」を持ち込んだ本作、SF映画の新たな鉱脈であると言ってもいいんじゃないか*2と思う。しかもそれを『エイリアン』『ブレードランナー』のリドリー・スコットが撮ったということはものすごく大きい。
プロジェクトX」を見て軽く感動しちゃうくらいの感性で楽しめる娯楽SFとして、また「意味」でがんじがらめにされた『インターステラー』の解毒剤として、今後のSF映画のメルクマールとなりうる一作だと思う。広く万人にお勧め。

*1:強いていうならインターステラーで人災を演じたマット・デイモン当人

*2:もちろん傑作『ギャラクシー・クエスト』や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』などの前例はあるにせよ