ゼロの未来

こないだウォシャウスキー姉弟の映画の『未来世紀ブラジル』まんまなシーケンスに出演した*1と思ったら、こんどはブラジルを嫌でも思い出す近未来ディストピアな作品を完成させたらしい…でやってきたのが本作。
自分はクストリッツァとともにギリアムに多大な影響を受けていて、たぶん『12モンキーズ』以降の新作は可能な限り劇場に駆けつけているが、本作、まず上映館が少ない。東京は恵比寿ガーデンシネマを筆頭にいくつかあるが、横浜と川崎はそれぞれ一館、しかも片方は早朝のみ、もう片方も夕方のみの一日各一回上映…というまぁ、はっきり言えばミニシアター系に毛が生えた程度の興行規模だ。天下のギリアムの、待望のSFサスペンスじゃなかったのか!?
その疑問は、映画を観ている間に氷解した。とにかく売れなさそーな映画なのだ。主演はクリストフ・ヴァルツ。いわずと知れたタランティーノ作品『イングロリアス・バスターズ』でしぶとく狡猾でイカレた敵役を演じ、見事アカデミー賞までかっさっらった怪優である。そのイカツすぎるルックスを、悪趣味で知られるギリアムは舐めるようなカメラワークでたっぷりと見せ付ける。映画のファーストシーンは彼の全裸、本編ラストシーンもまた彼の全裸だ。おっさんの全裸で始まり全裸で終わる映画。もうこれだけで売れないこと間違いなし。そして脇にも、マネーメイキングなメジャー俳優は見当たらない*2
そして残念ながら、本作は「いまのギリアムにSFは厳しい」ことを示してしまった残酷な映画でもあったと思う。WiiUコンのようなチープなガジェットでアクセスする無意味極まるナンセンスな「仕事」、ブラジルまんまのファム・ファタール(運命の女)との出会いと別れ。前作『Dr.パルナサスの鏡』で確立した、独特のビジュアルセンスをCGで具現化する映像は相変わらず刺激的で楽しいが、ストーリーは30年前の『未来世紀ブラジル』から進歩していない。無意味なこの世界から人間を解放するのは、人間の想像力なのだ。ただし、現実の生活と引き換えに。
どうして30年も経ってギリアムは同じようなテーマを同じようなモチーフで撮ったのだろうか。それは、現在のSFが置かれている状況に関係しているのかもしれない。ギリアムが出演した『ジュピター』、その他最近のウォシャウスキー姉弟作品や一連のブロムカンプ作品などに顕著な、「いまのリアルを描こうとしたら70年代のマンガアニメSFで描いた世界と一緒になっちゃいました」問題が、ギリアムの場合は自作に対して発生しているのではなかろうか。ファンタジーローズ・イン・タイドランド』や『Dr.パルナサスの鏡』では奔放にオープンエンドにしたギリアムが、本作で(またしても)軽やかな歌とともに描くエンディングとラストカットとに、いろいろと複雑な気分になった。

*1:http://d.hatena.ne.jp/SiFi-TZK/20150430#p1

*2:実際には『ブラザーズ・グリム』でギリアムと組んだマット・デイモンカメオ出演している。このへんも、癖のある主演俳優に、コケットな新進女優、大物(デ・ニーロ)のカメオ出演、というブラジルの布陣を髣髴とさせる。