プロジェクト・ヘイル・メアリー

映画版良かったよ〜、と感想をFBに流したらさっそく原作派より「原作読め!」との声をもらったので、いにしえの角川商法に自ら引っかかりに行った次第。映画の補完にはあまりならなかったが、原作を読んだことで、映画独自の魅力と、原作小説独自の魅力について再確認した。

以下、ネタバレ全開で行きますので気になる方はBackボタンでお願いします。

原作と映画のもっとも大きな違いは、ディティールの解像度だろう。映画版で映像化されたシーンの「理由」の部分はほぼすべて原作で説明されており、それが原作特有の連載小説のようなテンポ(「フリ→解決」のループ)を生んでいる。映画版では、「なぜこうするか」は必ずしも説明されず、それがまた映画版特有のドライな空気感を生み、それによってクライマックスのロッキーとの絆がさらに強く印象に残る構造となっている。

他にも、映画版はエモーションの起伏が大きい。

ストラットの冷徹さは強化され、一方で映画オリジナルなカラオケのシーンで彼女の人間性を垣間見せる。個人的には、一人称の原作で詳細に描写されたグレースの内面は映画版ではシビアな視線に晒され、「異端の学説を叩かれたことで研究職から逃げ教職に逃げ込んだヘタレ」として描かれるが、それだけに彼が「教職」に復帰するラストシーンがより感動を生んだと思う。自ら「天職」と定めた教職は、彼にとって世界を救うことよりも大事だったのだ(それを実現するため仕方なく世界を救った、まである)

エモさの振り幅を重視した映画版、ディティールとテンポの原作版、どちらも捨てがたい魅力があり、その意味では今回同じ作品で2度楽しむ経験ができた。本作のSFとしての独創的はそこまで高くはないが、「SFをSFのままどこまでエンタメとして豊穣にできるか」という観点では非常に高い、過去作の及ばない高みに到達していると感じる。作者ウィアーは長編3作目にしてSF内の大胆なジャンル横断で新境地を開いたが、現代のハインラインとも呼べる彼のエンターテイナーぶりは、次はどんな境地を我々に見せてくれるのか、非常に楽しみだ。

プロジェクト・ヘイル・メアリー

原作は(この時点では)未読。とはいえその評判は耳にしていたので、映画化発表以来情報をシャットダウンして劇場に向かったが、それだけの甲斐は十分ある作品だった。

序盤のサスペンスSFからサバイバルSF、ファーストコンタクトSF、からのアクションSFへと、都度目まぐるしく繰り出されるセンスオブワンダーの釣瓶打ちは、まさにSFの満漢全席と言っていい充実ぶり。2時間半を超える長尺にも関わらずテンポは早く、とにかく次から次へと事件が起き、片っ端からどんどん解決していく「お仕事映画」でもある。

個人的には、最近の『メッセージ』や、特に『インターステラー』への「人間にしか興味がねークセにSFを名乗るんじゃねぇ!」(過激派)という不満を鮮やかなラストシーンで解消してくれたことに、近年感じたことのない驚きと感嘆を覚えた。いまの世に、「人間愛の感動」より「SF的感動」を優先するビッグバジェット大作が存在するとは…!

そして本作、まさかのバディものでもあり*1、『レディ・プレイヤー1』とも通づるボンクラ感、宇宙船がタンゴを踊る『2001年』(こちらはワルツだが)から、構造的にかなり近い『2010年』*2、ファーストコンタクト物の『コンタクト』『メッセージ』への目配せとジャンルの古典である『未知との遭遇』『E.T.』へのある種律儀なオマージュ、擦りに擦る『ロッキー』ネタ、もちろん同作者の『オデッセイ』や『ゼロ・グラビティ』を彷彿させるサバイバルとサスペンス、etcetc…と硬軟織り交ぜたシナリオ、演出はSFはもちろん全方位的な面白さに満ち満ちており、今後SF映画のマスターピースとなるべき作品だろう。

難を言えばその長さ、また、テーマにおける現代性の欠如だろうか。しかし、この悪意と感情が吹き荒れる現代の地球に、友愛と理性こそが宇宙を救うのだ、という祈りを持って送り出された本作の輝きは、年を経ても普遍であるはずだ。言うまでもないが、SF好きなら必見。

*1:地上でのバディと宇宙でのバディが対比される演出もいい

*2:地球を救う何かを持ち帰るために単独の宇宙船が送り出される、という枠組みは初代『宇宙戦艦ヤマト』的でもある

機動戦士Gundam GQuuuuuuX -Beginning-(ネタバレあり)

タイトルが長い!TVでやるんならそのうちサブスクかなんかで見ることもあるかもね、くらいのテンションだったが、あっちこっちから「何も言わずにいますぐ見ろ!」とせっつかれたので、たまたま月曜でイオンシネマのハッピーマンデー割引¥1100で鑑賞。¥2000だったらブーたれてたかもしれない。

というわけでネタバレしますよ?いいですね?

 

 

 

 

 

 

 

 

開始後いきなりの当時のBGM、当時のSE。ただでさえその前のスタジオカラーサウンドロゴがウルトラのSEなので、ホント庵野秀明って一貫してるというかなんというか…特撮博物館がSEなどの中間成果物も収集対象としてるのも、こういった「趣味と実益」を兼ねてるのでは?と勘ぐってしまう。

映像的にもイマドキ当たり前なCGによる天球表現を行わず、当時の宇宙モノそのものな「一枚絵のPAN」での空間描写が行われるので、その違和感は『シン・仮面ライダー』に劣らず強烈だ。有り体に言えば、「スゴイけどなんかヘンな(しかも趣味性がかなり高い)映像を見せられてる」感が強い。DAICONフィルムを見ているときの感覚に近い、と言えば伝わる人もいるだろうか。

ストーリー的には最初の作戦に参加しているザクに赤い個体が混じってるあたりで気配があり、シャアが簡単にザクを乗り捨てて連邦MSに乗り込んでしまった(乗り込むまではまだここから本篇に戻すつもりかも?とも思えた)あたりで確信した。これは、「ガンダムで時間改変SF(歴史改変SF)をやろうとしてる」

そうなってしまうと、あとは「どこでこの話を切り上げて本来のジークァックスとマチュたちの話になるのか?」なのだが、庵野秀明(このパート絶対庵野だよね?)はいつまで経ってもこの「初代ガンダムいじり」を止める気配がなく、あまつさえTV版のみならず小説版や初期構想をも自由に参照し*1、「シャアと共感・共闘できるニュータイプ」シャリア・ブルを元通り以上にクローズアップして、シャアのトラウマの原型たるララァの存在を(この作品世界からは)排除してしまう。

この世界線のシャアはガルマをハメることもせず、なのでドズルに左遷されることもなく、ではザビ家とともトントン拍子に連邦に勝利してどこかの段階でクーデターでも起こして無理やり逆シャアでもやるのか?…と思ったら、追い詰められた連邦が(本篇において追い詰められたジオンが使ったソーラ・レイのように)「ソロモン落とし」を敢行、謎の光によって突然世界は「逆シャア後の世界」にふっ飛ばされるのだった。つまり初代〜逆シャアまでの宇宙世紀を全部やったことになる。やりすぎ。長すぎ。

 

…というわけでここからは(やっと)本来のマチュとジークァックスのお話なのだが、ガールミーツガールの話なのに男ばかりがやたらとエロく、最近のカラーとトリガーの違いを見せつけられるようだ。前半部の「歴史改変ガンダム」と後半部をブリッジするのは激重感情を見せつける*2緑のおじさんことシャリア・ブル、そしてそのシャリアに存在を消されてしまったララァ≒キラキラ、なのだろう。GQuuuuuuXのTVシリーズがどこまで自覚的に「時間改変SF」をやるつもりなのかはわからないが、「本来の世界線に引き戻そうとするララァ」に対して、マチュやニャアンはどんな選択をするか?という話になるのかもしれない。ならないかもしれない。ただ、その際にはムダにタイムボカン(言うまでもないがタイムボカンは歴史改変テーマのSFである)感あるポメラニアンズの他のメンバーは彼女らの背を押す存在になるような気がする。

…と、なんだかんだ庵野秀明とカラーに乗せられてしまったので、TVシリーズも付き合うつもり。ぶん投げるのはナシでよろしく!

*1:このあたりの周辺状況の取捨選択の感覚が「ゾーフィ」や「M87」の『シン・ウルトラマン』と非常に近い。これも「このパート絶対庵野だろ!」と思う一因

*2:ハサウェイにおけるクエス的な…と読むと、錯綜したトミノ感がある

『MIDNIGHT EYE ゴクウ』イベント(不完全)レポ

寺沢武一原作、川尻善昭監督の傑作OVA『ゴクウ』と『同II』のブルーレイ化合わせでイベントがある!ということで、先日ジリオンvsボーグマンのイベントで行ったばかりの池袋新文芸坐へ。

 

イベントはまず作品が上映され、その後トークゲストの丸山正雄氏、浜崎博嗣氏と、司会のアニメスタイル小黒祐一郎氏が登壇した。

 

丸山氏は手塚治虫氏が立ち上げた虫プロダクションからキャリアをスタートさせており、創業メンバーとしてマッドハウスに参加、MAPPA、M2も氏が立ち上げている。間違いなく日本アニメ界のレジェンドのひとり。

丸山氏の『ゴクウ』でのクレジットは「設定」だが、プロデューサーとして紹介された。いわゆる「アニメーションプロデューサー」的な役割であったと思われる。

いまでは監督として知られる浜崎氏は、本作ではキャラクターデザインと作画監督を担当。タツノコ時代では『昭和アホ草子 あかぬけ一番!』(1985年)や『アウトランダーズ』(1987年)でキャラデザを手掛けていたが、川尻作品のキャラデザは本作が初。昨年の『赤い光弾ジリオン』(1987年)(浜崎氏は作画監督として参加)上映会に続き、筆者としては2回目のナマ浜崎監督となった。

zillion-archive-room.hateblo.jp

以下のテキストは筆者の記憶を元にトークの前後関係などを整理したもので、ゲストの発言を正しく再現してはいないことをご留意いただきたい。明らかな間違いなどありましたらコメント等でご指摘いただけますと幸いです。

 

日時:2024年7月13日19時開始

場所:池袋新文芸坐

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新文芸坐×アニメスタイル Vol.178

『MIDNIGHT EYE ゴクウ』

『MIDNIGHT EYE ゴクウⅡ』(ともに1989年)

 

丸山正雄(以下丸山) ゴクウ、今回初めて観た人は?

(約8割ほどが挙手)

丸山 川尻さん(監督の川尻善昭氏)がここにいない理由なんだけど、「もう過去の人だと思われて人なんか集まらないだろ?」って本人が言ってて。某所*1から出てこない

丸山 『ゴクウ』は『獣兵衛忍風帖』(1993年)や『吸血鬼ハンターD』(2001年)に繋がるホップステップになった作品。今回、ブルーレイのリマスターを一緒に見てたら、監督いわく「意外と面白いな?」と

丸山 原作の寺沢武一さんや川尻さんがアメコミ風を日本でやったのがこの『ゴクウ』。それがアメリカでまたパクられ…というのが面白い。自分は川尻ファンなので、彼にもっと仕事してもらいたい

丸山 こちらの浜崎さんも『シグルイ』(2007年)という凄い作品を監督した人で、まだまだやってもらいたい。この作品(『ゴクウ』)のときは川尻監督と組んでもらった

小黒祐一郎(以下小黒) 浜崎さんは僕にとってはあかぬけ一番!の人です(笑)

浜崎博嗣(以下浜崎) 川尻作品の美意識が大好きで、一緒にできて楽しかった。とはいえ、緊張のほうが先に来たかな? 二作目(『ゴクウII』)のほうがこなれた感があるかな

丸山 ゴクウは3で劇場版をやる話があったが、(川尻監督が)「劇場をやるならオリジナルがやりたい」ってことで、それが『獣兵衛忍風帖』になった

 

丸山 川尻さんは『夏への扉』(1981年)と『浮浪雲』(1982年)で、それぞれ映画一本分のレイアウトを一人でやった。そんな事が出来るのは日本では宮崎駿川尻善昭のみ

丸山 川尻作品のアメコミに通じる黒、ブラックの使い方の上手さ。これはジブリにはない。これ、もうあんまり日本のアニメでは見られない。早すぎたのかも

 

丸山 浜崎さんはなんでマッド(マッドハウス)に?

浜崎 タツノコのときにマッドの制作から声をかけられまして。(『妖獣都市』(1987年)の)絵コンテが凄かった。画面のコントラストや世界観の完成度、アニメーションとしての動きのみならず、とにかく画面が動的で驚いた。あと、話が来たときは35分の作品だったのに、実際(スタッフに)入ったらカット数が倍になっていて、そちらにも驚きましたね*2

丸山 浜崎さんのラストパート以外は、『妖獣都市』の全パートで監督がラフ原描いてるんだよね。川尻さんは『(まんが)世界昔ばなし』(1976年〜)で1話まるまる絵コンテまでやるようになり、だったら演出もできるじゃん!ってことでどんどんやらせた

丸山 でも『(SF新世紀)レンズマン』(1984年)の監督と言われるのは不本意なんだと。「演出したつもりがない」って。レンズマンのコースターのシーンが長くて、まず半分に削って、それでも「まだ長い」って自分は言ったんだけど、そこは(川尻氏は)譲らなくて。実際そのシーンは森本晃司の素晴らしい原画だったけど、完成したら「やっぱ長すぎるね…」と(場内笑)

丸山 これで作画から演出に意識が変わった。浜崎さんたちの登場で「絵は自分より上手い人に任せよう」となったことが、演出に専念できるようになった理由。作監をやらなくなって演出ができるようになった

 

丸山 ゴクウは制作途中の川尻コンテを原作者に見せたら、すぐ納得してくれた。これが(原作の)寺沢氏がアニメの演出をやるきっかけになったのかも知れない

丸山 川尻さんはコンテを描くのがとても早い。普通の人の10倍の早さで描ける。昔はすごい描き込んでて、「そんなになんでも自分で描かなくていいんだよ」って言ったけどね

 

丸山 川尻作品はやっぱり日本的じゃない、ドライなところがアメリカ人とかにも受けたのだと思う

小黒 でもその川尻監督も『ストップ!ひばりくん』(1983年)でコンテ描いてる。かなりハチャメチャ

浜崎 川尻さんは叙情など、日本的な(価値観を大事にする)人、という印象を持ってます。『子連れ狼』(原作は1970年〜)がやりたい、と言ってましたね

丸山 (自分としては)情緒ではなくハードボイルドをやりたい人(と見ている)

『(迷宮物語走る男』(1987年)がなかったら『RED LINE』(2010年)はない。小池(健)くんが川尻路線を継いでくれている*3

 

ここで『ゴクウ』の音楽を担当したKAZZ TOYAMA氏が登壇

 

小黒 「音楽」担当に2人並んでいるのはどういった分担で?

KAZZ TOYAMA氏(以下KAZZ) 自分はタケカワ(ユキヒデ)氏と同じ会社で、タケカワ氏がハードボイルドのメロディを書けなかったので自分に任せ、タケカワ氏はその上がりを「いんじゃない?」という係(会場笑)

丸山 タケカワ氏はソングライターなのでメロディは素晴らしいが劇伴はいつもやらない。999(『銀河鉄道999』(1979年))もそう。川尻監督も音楽にうるさいけど、自分が音響監督に「監督の意向は無視していいよ!」と言ったりしてる(会場笑)

KAZZ 川尻さんはカッコイイ。OEDO808(『電脳都市OEDO808』(1990年〜))も一緒にやってる

左から小黒氏、丸山氏、浜崎氏、KAZZ TOYAMA氏

丸山 このイベントで「川尻ファンは(まだまだ)いるよ!」と伝えたい。自分のもの(川尻監督作品)をやって!といつも言ってるけど、やってくれない。昔のマッドみたいにちゃんとした原画家がたくさんいる現場じゃないとやりたくないみたい

小黒 川尻さんには新作をやって欲しい!ぜひ伝えていただきたいです(会場拍手)

*4

(レポートここまで)

 

上映された素材はおそらくリマスターされたブルーレイ版のものと思われるが、派手なスペルミス(「CROSE」など)が直っていなかったのは大画面で見ると少々むずがゆく感じた。しかし内容はいま見ても素晴らしい。特にゴクウの如意棒アクションのスクリーン映えはハンパなく、『ゴクウI』の摩天楼に飛ぶラストシーンの高揚感は劇場で本作を観る醍醐味に溢れていた。(その意味では如意棒アクションのない『II』のラストは若干物足りない)

自分は10年前の川尻善昭ナイトにも参加しているが、今回は明らかに客層が違っていた印象。アニメスタイルイベントの常連客なのかもしれない。そのアニメスタイル小黒氏は、トークの文脈から外れていることがわかっていても自身の入れたい情報をちょくちょく突っ込んでいて、つくづく業の深いオタクだと感じた。アニメ様の共感度爆上がり(笑

高齢の丸山氏は生前葬を行ったりしているがぜんぜん元気で、浜崎氏の発言を食ってしまう場面もあり、そのパワフルさにとにかく圧倒させられた。

また今回、『獣兵衛忍風帖BURST』、そして絵コンテは完成しているという『獣兵衛忍風帖2』の制作が完全に止まっていることがわかったのは少なからずショックだった。外資でもクラファンでもなんでもいいのでなんとか川尻監督がご健在のうちに実現を…!と祈らずにはいられない。

*1:わりと関東近辺

*2:完成した本編は82分

*3:小池監督の『ANIMATRIX / World Record』(2003年)がまんま『走る男

*4:まったくの余談だがこの寄せ書きの浜崎氏(ゴクウ)、黄瀬氏(BLOOD)、沖浦氏(人狼)はジリオンのブルーレイBOXで鼎談を収録した方々なので、そこでもテンションが上がった

シン・仮面ライダー

かなりイビツな映画だ。本作は映画にも関わらず、庵野監督が以前に脚本等で参加した『シン・ウルトラマン』同様、「原作となるTVシリーズ当時のチープな特撮を、現代の映像技術で予算をかけて再現」+「部分的にリッチで現代的な画づくり」という、面倒かつ利の少ないアプローチで制作されており、前者の比率が高い本作のそのイビツさ、特異性は「シン」シリーズにおいても随一だと思う。
『シン・ウルトラマン』と本作の差は大きく分けて3つ。1つは今回は監督も庵野氏であること*1。次に「怪獣」や「巨大ヒーロー」といった、スクリーン映えするガジェットを欠くこと。そして最後に、原作の、さらに原作に当たる(正確には原作ではないのだが、舞台挨拶で監督が「原作」と発言しているので本稿ではその認識を踏まえて石ノ森章太郎によるコミック版を「原作」として扱う)作品があること。

近年の石ノ森章太郎ヒーローの現代リブートとして、『009 RE:CYBORG』(神山健治監督・2012年)がある。
神山氏は庵野氏が総監督を務めた『シン・ゴジラ』に初期プロットで参加しており、同作がポリティカル・フィクションとして成立するにあたって最初の道筋をつけた人物でもある。その神山監督の手懸けた009は、やはりポリティカル・フィクションの側面を強く押し出した作風であり、基本的に「疎外者」「アウトロー」である石ノ森章太郎ヒーロー作品としては大胆とも言える改変を加えている。
『シン・仮面ライダー』では逆に、社会性はオミットされている。敵となる「ショッカー」がどの程度社会に浸透し、社会に害をなしているかは作品を見てもよくわからない。また、TVシリーズで主演した藤岡弘、が発する男らしさ、逞しい体躯と太い声が生み出す「見るからに強くて頼もしい」、一種梶原一騎的でもあるヒーロー像も本作は切り捨てている。
代わりに採用された世界観は、コミック版の持つ「抜け忍モノの構造」と「繊細なキャラクター」だ。
神山版009のサイボーグ戦士はサンダーバード的な「体制秩序の守護者」だった。その「敵」も、悪の秘密結社から現代の民間軍事会社にアップデートされている。
対して庵野版ライダーは終止ショッカー内部の仲間割れ≒抜け忍と組織の戦いとして描写され、「シン」シリーズ譲りの「政府の男」ももっぱら情報収集と後始末の最低限のリアリティ担保、またファンサービスとしてのみ機能する。仮に彼らが登場しなければ、ショッカーが本当に社会に仇なす存在かどうかすらわからなくなるほどだ。

映像はときにパワフルだが肝心なところで「あえてのチープさ」が目立つ。演出面でもセリフ頼りで感情の起伏が伝わらず、その意味では樋口真嗣が監督したこれまでの「シン」シリーズに大きく劣る。手垢の付いた選曲センスも含め、庵野秀明のクリエイティビティの枯渇が心配になった。
反面、そのぎこちない演出の手つきを含め、繊細なキャラクターたちが紡ぐ儚い生き様はまさに庵野秀明の原液と呼べる濃厚さで、「シン」シリーズでもっとも賛否両論となった本作が熱狂的なファンを多数生み出したのもむべなるかな、だろう。

少女マンガを「居場所を求める物語」と仮定したのは藤本由香里『私の居場所はどこにあるの?』だが、ショッカーとの決着を描かない本作は石ノ森章太郎少年マンガイズムをも超え、庵野秀明の希求してやまない少女マンガ的な世界を描いた。氏は続編の構想も語っていたが、少なくとも本作は、本郷猛、緑川ルリ子、一文字隼人の彷徨う魂に居場所を与える物語だった。そのイビツさが独特な魅力を放つ作品として、今後本作は『エヴァンゲリオン』と並んで庵野氏の代表作となるかもしれない。

*1:『シン・ウルトラマン』は樋口真嗣監督

トップガン マーヴェリック

1986年公開の『トップガン』の、まさかの36年後の続編。とはいえ、ここのところブレードランナーの続編が出たり、デューンが再映画化されたり、あまつさえ同時期に『シン・ウルトラマン』も公開中なのでそれほどのインパクトはない。

本作における最大の特徴は、「作中においても現実世界と同じだけの年月が過ぎていること」だろう。もちろんこれは本作が実写映画でありかつ、前作と同じ役で前作主人公が登場している以上、ある意味では必然的な選択ともいえる。これも、近年では『男と女』の53年後を同キャストで描く続編が登場しており、ある意味トレンドと言えるのかもしれない。
その『男と女 人生最良の日々』はスタッフも前作と同じだったが、本作『トップガン マーヴェリック』は前作の監督トニー・スコットからしてすでに故人であり、別のスタッフによって撮られた続編となる。

監督ジョセフ・コシンスキーは『オブリビオン』でトム・クルーズと組み、作品にトム作品のオマージュを詰め込みまくった*1筋金入りのトムオタクだ。そして脚本のクリストファー・マックァリーはブライアン・シンガーの処女作『パブリック・アクセス』からシンガー監督の相棒として長らく脚本を手掛けていたクセモノ脚本家である。*2

その二人が組んだ本作『トップガン マーヴェリック』は、大味な前作をベースに緻密なストーリーと大胆かつ繊細な演出を両立させた、続編としてこれ以上ない作品となったのではないかと思う。同時期公開の『シン・ウルトラマン』が原作スキスキ!の稚気に溢れた作品だったのに比べ、作品との距離を取った上で丁寧に前作愛を語る、大人な作品といえる。

前作との距離感に関して、まさかの映画開幕早々に流れる前作のテーマソングと言える「デンジャー・ゾーン」の使い方からして唸らされた。この曲をクライマックスに持っていくこともできただろうに、それをせずに冒頭で「使ってしまう」ことで、前作を知っている観客にノスタルジーと、それとの決別とを同時に味わわせる演出はクレバーかつエモーショナルだ。

本作は『オブリビオン』同様に、前作を彷彿させるシーンが意図的にちょくちょく挟み込まれているのだが、それがイチイチ「現代ではこうなるんだよ」とアップデートされている。それ自体がテーマと濃密に絡み合う脚本は非常に完成度が高く、それまでのリアリティレベルをかなぐり捨ててまで盛り上げに盛り上げるクライマックスまで作品をどこまでも澱ませない。

演出も負けておらず、監督特有の美しい画と音のみで「語り切る」シーンが多く、大迫力のドッグファイトシーンとはまた別に、映画的な快感が随所に満ちたフィルムとなっている。*3
エリートパイロット「トップガン」自体が時代遅れになりつつある現代に、もはや化石のような主人公がガムシャラに「いまできる最善の事」を目指すストーリーはその一流の語り口によって、会社を追われ人生に疲れた中年男たる自分にも刺さる一作となった。

あまりに前作前提の作品であり、本作が単品の映画として今後語り継がれる作品となるかどうかはまだわからない。だが、本作のテーマは「いまできる最善の事をなせ」なのだ。それを最高の形でやり遂げたスタッフを称えたいし、いま色々見失っている中年同志はぜひ本作を観ていただきたい。出来れば音響のいい映画館で。

*1:オブリビオン - 映画と本とゲームで日記(はてダ移行版)

*2:おそらくシンガー監督作『ワルキューレ』でトムと知り合った彼は、最近ではトムのお気に入りとして『ミッション・インポッシブル』シリーズの監督を連続して務めている

*3:特に、一切のセリフを排したエピローグは特筆ものだろう

アライブフーン

ドライブゲームのチャンピオンが実際のドリフト競技に駆り出されて大活躍!という、やや実話風味のスポ根ドライブアクション映画。現代に蘇ったリアル『スターファイター*1ともいえる。
下山天監督は主にMV方面で活躍している人だそうで、その意味では中野裕之監督*2や、リドリー・スコット監督に近い作風といえるかもしれない。
本作『アライブフーン』においてもその手腕は遺憾なく発揮されており、頭文字Dの藤原拓海ばりに喋らない主人公の心情は、印象的なスローで切り取られる鋭い目線、暴力的なエキゾーストノート、そして劇伴によって雄弁に語られる。語られる内容自体は複雑ではないし、ストーリーも良くも悪くもベタベタの少年マンガなのだが、そのシンプルなストーリーだからこそ、日本映画らしからぬこの「徹底的にアクションと画で語る」作品となり得たのだと思う。
この作品の真の主役とも言えるカーアクションについても、本作では「CGナシの本物のドリフト」にこだわっており、「正直どうやってもハリウッド作品には勝てないCG」ではなく、「すでに世界トップレベルである本物のドリフト」をひたすら映し出すことで、アニメ以外の邦画では*3なかなか難しい「テンションの高い画面を維持」することに成功しており、日本発アクション映画の新たなスタンダードを示した作品ではないかと思う。もしかすると、『ウォーターボーイズ』のように、今後繰り返し繰り返し使われるフォーマットとなるかもしれない*4
惜しむらくは、せっかく「ゲームから現実へ」という『レディ・プレイヤー・ワン』とも戦えるテーマを持ちながら、日本のレースシーンと邦画の限界からか、「ゲームでは世界に羽ばたくけど現実は日本チャンピオン止まり」という微妙な地点をゴールとせざるを得なかった点で、本作がヒットしてハリウッドリメイクでもされたらあっけなく覆ってしまうであろうこのエンディングに、衰退国家日本の現実を突きつけられた気分になった。本作に惚れ込んだどこかの外国資本が、オリジナルと同じスタッフ、キャストでの続編制作に乗り出すことを期待したい。

*1:もしくはゲームの『イメージファイト

*2:なんか似たような帽子被ってるし

*3:おもに予算の関係で

*4:そのせいか、ウォーターボーイズフォーマットの『ガールズ&パンツァー』の映画にもよく似ている