シン・ウルトラマン

これまで公開されてた予告では、特にウルトラに思い入れもない人間にはどうかな?と思っていたが、意外なほど楽しめた。
その理由の一つは、『シン・ゴジラ』と違ってこちらはけっこうユルい世界観であり、そのゆるさを自覚した上でそれが好きでたまらないオヤジ達(庵野秀明樋口真嗣)が公式のお墨付きを得て「俺ウルトラマン」を楽しくブンドドするする作品だったからで、その意味では『カメラを止めるな!』と同じく、作り手に共感・羨望されるタイプの映画なのではないだろうか。
またSFマニア的には、庵野氏の初監督作『トップをねらえ!』にも通じる、オールドSFテイストな大上段なテーマ設定も嬉しかった。「宇宙人が未熟な人類を助けてくれ」「地球人もその行為に報いるべく頑張る」クライマックスは、正直「でもやっぱりウルトラマン頼りにすぎるのでは?」という瑕疵はあるものの、人類の進化と善性を高らかに謳ったあの60年代*1へのノスタルジーの向け方として、圧倒的に正しい。
ただやはり、「叙事」だけで押し切ったシンゴジと違い、最終的に宇宙人の心情という「叙情」に振った本作は、そのテーマを扱うには庵野・樋口両氏のライブアクション演出の経験値が不足していることが、図らずも露呈してしまったと思う。有り体に言えば、「そんなに人間が好きになったのか、ウルトラマン」というセリフが出てくること自体、「言葉で説明しないと行動が意味不明に見える」ことへの言い訳に思える。それを観客に「感じさせて」初めてこのストーリーに共感し感動し得るのではないか。
特に脚本の庵野氏は宇宙人の方に感情移入しすぎて、ザラブ星人メフィラス星人ほどには「禍特対」を魅力的に描いていない。モンスターと人間との愛を突き詰めたギレルモ・デル・トロと比べるのは酷だが、その相互の信頼を脚本レベル、演出レベルで描き切れれば*2シンゴジを超える傑作ができたかもしれないのに…というないものねだりな感慨を持ってしまった。船頭多くして…ということもあるが、『のぼうの城』方式で犬童一心共同監督だったらワンチャンあったかもしれない。
今回はおそらく予算の都合で人類側のスーパーメカがなく、おかげで前述の「最終的にウルトラマン頼りな人類」になってしまったが、シリーズ化された場合どんな方向性でいくのか、なんだかんだ言ってプロデューサーとしての庵野氏の手腕*3に踊らされてしまう一作だった。

*1:これはもちろん、「戦後」ならではの気分であろう

*2:樋口氏の演出もそれをフォローできていない

*3:シンエヴァを経て、「作家」であることを辞めたようにも見える