「富野由悠季の世界」展

https://www.tomino-exhibition.com/

たまたま福岡出張のタイミングだったので、これは行けってことだな!との勝手な思い込みに従い強行軍で鑑賞。

会場の福岡市美術館大濠公園という大きな湖のほとりにあり、かなり大規模な美術館。平日の午前中だったが、やはり自分のようなアラフィフ男性を中心にそこそこ混んでいた。

展示は富野氏の年齢とフィルモグラフィを対応させつつその足跡を辿る形式で、ガンダム以外はあまり知らない自分のような浅いファンにも優しい作りとなっている。

個人的に、今回の展示の最大の見せ場はその初っ端にあった。富野少年の父が軍の技術者であることは以前NHKで放送したドキュメンタリー「わたしが子どもだったころ」で知っていたが、その富野氏の父が設計した潜水服が実際に作られ、明らかにそれを参考にしたと思われる富野少年の宇宙服のスケッチ、そして宇宙旅行協会に参加し、戦記モノと小松崎茂に耽溺、必然的に手を染めた初期創作作品の展示を見るにつけ、「モビルスーツ」による宇宙戦争モノは、彼のフィルモグラフィにおいて出るべくして出現したものなのだ、と強く認識させられた。もちろん、鑑賞者にそう思わせることを予め意図した展示なのであろうが、ここまで「宇宙とドンパチ」が大好きな少年だったとは、自作にシニカルな現在の氏の発言からは想像し難かっただけに、今後の富野作品批評においてターニングポイントとなりうるインパクトがあった。

一方で、メカニックやハードウェア、組織論といった氏の男性的な作劇についてある程度の納得を与える反面、氏のもう一つの特徴である個性的な女性キャラクターについての手掛かりが、この展示にほとんどないことは不思議に思った。氏が影響を受けた人物として挙げられるのも(少年時代を除けば)手塚治虫高畑勲のみであり、見てわかるように、彼らの影響は氏の作品からはあまり読み取れない。全体に、題材について納得を感じさせつつも、ドラマについて納得を与えてくれない展示となっている。

また、その展示の並び順による錯覚なのか、後年…というか『機動戦士Zガンダム』(1985年)以降の富野氏は描くべきテーマを失い、なんとかして自らから「描きたいテーマ」を絞り出すべく孤軍奮闘している印象を受けた。ことによると富野版『2001年宇宙の旅』である『伝説巨神イデオン』(1980年)以降、と言ってもいいかもしれない。氏はSFに対する興味を失い、よりドラマ志向を強めていくものの、そのドラマをどこに向かわせるか?について、自身を納得させることが長らくできていなかったのではないか。これは仮説だが、『∀ガンダム』(1999年)前後で「歴史」という概念を自作に持たせることによって初めて、「皆殺しの富野」に頼らない、納得できるドラマの着地点を見出したように思える。

また今回意外だったのは、企画書やメモ、コンテなどの展示で明かされる氏の趣味や思想が意外なほど穏健でありつつも、それが自作にあまり反映されていない、と思われることだ。本編から企画意図があまり感じられないことは、自分の感度の鈍さもあるとはいえ、これは氏が映像「作家」ではなくアニメーション制作の現場とそのアウトプットこそを愛する映像「職人」である証左なのかもしれない。

氏の近作はほとんど未見だったのだが、日本の歴史と絡めた新『リーンの翼』、これまでの自作自体を歴史として位置付けた『∀ガンダム』、氏が過去作に新たな解釈を加えた劇場版『Zガンダム』には特に興味を惹かれた。今後鑑賞してみたい。

最後に。展示の物量は凄まじいので、富野氏の全作品のファンであれば1日では回りきれないだろう。分厚い図録も情報量が半端なく、今後の巡回展に行かれる方には、それなりの用意をしてからの鑑賞をお勧めしておきたい。