TEXHNOLYZE

こちらは2003年の作品。『serial experiments lain』に始まる一連のシリーズの一作なのだそうだが他の作品は未見。『赤い光弾ジリオン』で作画監督をされていた浜崎博嗣監督のTwitterでの発言から興味を惹かれて鑑賞した。
見始めてすぐ、これは非常に難しいことをやろうとしている作品だ、と感じた。特に演出において従来のアニメのセオリーを踏んでおらず、畢竟視聴者も従来のアニメのような見方では作品を味わうことが難しい。
とはいえそれが徹底されているかというと、そうでもないところが惜しい。舞台となる「流9州(ルクス)」の正体が明かされる終盤に入ると脚本が演出を凌駕するようになり、説明や台詞がシーンを覆うに連れて、「ストーリーに関係なく存在していた」主人公の存在感が解体されるような居心地の悪さがあった。なんというか、作り手が単一の「意味」を持たせてしまったがゆえに、あらゆるものに意味(というか整合性というか)が求められてしまっているというか。「感じる」作品としては(特に中盤が)素晴らしいが、「読み取る」作品としてはバランスの悪さを感じる。
本作における出色のキャラクターは主人公ではなく、その初期は視聴者の視点として登場し、のちにその役割を逸脱し自ら作品世界を変革しようとする「吉井」であることには異論は少ないだろう。世界の秘密を独占したまま、組織も持たずに自らの欲を解放していく彼には、単なるトリックスターを超えた異様な存在感があった。モブのようなルックスに朴訥とも取れる井之上氏の演技が時に狂気を孕み、舞台を「逸脱」させていく過程には、他作品では味わえない独特のスリルがある。
終盤で明かされる世界の秘密は、ウェルズ『タイムマシン』と非常に似ている。タイムマシンにおける野蛮なモーロックが本作におけるヤクザであり、ヤクザの生命力に人類の未来を見る展開は、暴走族が一手に人類の未来を担ってしまう『メガゾーン23』などを彷彿させるが、とことんドライな本作はその芽をも最後には摘んでしまう。また、本作における「世界」のあり方や、吉井の立ち位置などの構造面では『THEビッグオー』との類似が見られるが、こちらはは本作と同じくシリーズ構成を小中千昭が手がけており、またその最終章となるseason2は本作とほぼ同じ時期に制作されている。ビッグオーにおける「よくわからない世界だがその秩序は守る」主人公ロジャーは大西の、「世界の秘密を知って狂った理想に取り憑かれる」記者シュバルツバルトは吉井の、それぞれオリジンといえる。演出面で共通点はほとんどないが、本作とはきわめて近い関係の作品といえるだろう。
メッセージ性に乏しい本作だが、その卓越したビジュアルセンスは世界やキャラクターそのものを観る者に撃ち込んでくる。言語や肉体言語に頼らないアニメとして、稀有な体験を求める向きには強くおススメ。