この世界の片隅に

作品の制作過程はアニメスタイルの連載で知っていたが、当時はちょっと見るのが辛そうな映画だな、と思って距離を置いていた。
そう思った理由は、原作者こうの史代氏の前作「夕凪の街、桜の国」にある。知識として原爆は知っていても、これほどストレートに一人の人生が蹂躙される様を描かれると、容赦なく心が揺さぶられ、下手をすると日常生活にすら支障を及ぼす。それほど力のある作品なのだ、という言い方もできるが、当時多くの問題をリアルで抱えていた自分はなかば無意識的に、似たテーマであろう本作を視界に入れないようにしていたのかもしれない。

それを観に行く気になったのは、本作の制作が長引き、その間に自分の問題にある程度慣れてきたからだ。作品に対しても、劇場アニメとしては前代未聞なクラウドファンディングや、配給がインディの東京テアトル、芸能界を追われたのん(能年玲奈)のゲリラ的な起用*1などのギリギリのマーケティングを見るにつけ、応援したいという気持ちも出てきた。
そして公開。twitterでの好評にも後押しされ、近所のシネコンのナイト上映に滑り込んだが、22時過ぎからの上映にも関わらず、結構人が入っていたのにはちょっと驚いた。
身構えて鑑賞し始めた当初は、その自分の緊張がバカバカしくなるほどゆったりとした演出に、軽く胸をなでおろしたが、その安堵はごく短いものだった。ゆるい日常描写に忍び込む不穏さが、そして「その日」に向けてのカウトダウンのように繰り返しテロップされる日付が必然的に醸す予感が、真綿を締めるように観客を追い詰める。
原作イメージを再現した素朴なマンガ絵に対して、スクリーンから聴こえる音は非常にリアルだ。それは、演出的には不釣り合いにすら思える。
本作の音響監督は片渕監督の兼任、ということは、このミスマッチは意図的なものと考えていいだろう。そしてそれを裏打ちするように、作品には繰り返し繰り返し暴力の波が押し寄せる。そこでリアリズムに徹した音響が大きな効果を上げ、観客を戦場に同席させる。
この「マンガ絵×リアルな音響」という演出は、おそらく「ほのぼの日常×容赦のない暴力」という作品テーマと正しく呼応しており、作品がファンタジーに流れるのを繋ぎ止めている。逆に、一方で徹底してリアリズムに寄り添うことで、冒頭のシーンやイメージシーンなどの「アニメーションならではの表現」がより際立つ、という監督の計算を感じる。
この「非写実的なアニメ表現×実写もかくやというリアリズム」という対立項は『かぐや姫の物語』など、『となりの山田くん』以降*2高畑勲作品に顕著な特徴でもあり、長らく「ポスト宮崎駿」と呼ばれた*3片渕監督は、ここに来て*4「ポスト高畑勲」最右翼の位置につけてきた。そして例えば、高畑の「山田くん」におけるアニメーション表現とリアリズムのコンフリクトは、コトリンゴの音楽に緩衝材の役割を持たせるなどの技巧により、巧妙に回避されている*5

引っかかりを感じた点もある。
上陸してきた幼馴染に対する主人公の描写が、突然「マンガ絵の素朴な少女」から「艶めかしいアニメ美少女」に変わる。このシーンは幼馴染というエクスキューズこそあれ、「つかの間の上陸を果たした海兵に、若く美しい新妻を(保養として)差し出す」というなかなかにエグいシチュエーションだ。それを言葉を使わず、画で伝える演出*6だというのはわかるが、この作品においてはちょっと唐突な印象を受けた。もちろん、この作品は全編で「唐突さ」を演出として駆使しているので、これは個人的な引っかかりといえる。

映画公開と前後して伝えられた本作製作中の片渕須直監督の赤貧ぶり*7はフリーのゲームデザイナーである自分には身につまされるものだった。アニメに限らず日本映画界はだいたい似たようなものだとも思うが、本作の受賞ラッシュによってその雌伏も報われたと思うと感慨深い。
改めて、作品の外側や内容においても、また、主演のんをめぐる芸能界の暗闘においても、本邦における個人とシステムの相克に目を向けさせる現代的な作品でもあったと思う。いまさら自分が言うまでもないけど、傑作。

*1:低予算で話題性をつけるためとはいえ、声優初挑戦の彼女を、ナレーション含め全編喋り続ける主演に起用するのは作品にとって大きな賭けだったろう。結果的に彼女は見事その大役を果たし、映画を救ったが、その賭けが裏目に出ていたら…と思うと恐ろしい

*2:その萌芽は「アニメにする必要があるのか」と言われた実写的アニメ表現の極北だった『おもひでぽろぽろ』にも見られた

*3:今世紀に入る前から言われていたので、元祖「ポスト宮崎駿」の一人であろう。実際、監督として独り立ちする前は宮崎氏の右腕として彼を支えており、『魔女の宅急便』の初代監督であった経緯もある

*4:原恵一も脱落し、誰もそこには座れないと思われていた

*5:とはいえ『となりの山田くん』も矢野顕子なのだから手法としては同じで、その巧拙の話だともいえる

*6:キャラクターデザイン・作画監督は『ああっ女神さまっ』や『サクラ大戦』などの作品で美少女アニメーターとして一世を風靡した松原秀典が務めている。

*7:http://www.cyzo.com/2016/11/post_30196_entry.html