和製RPGブームの出所

島国大和ドラクエが日本のゲーム市場に残した功績
http://www.4gamer.net/games/072/G007233/20090722034/

うーん、いままさに、GDCCEDECではフォローされない、アーケードゲームがPCや家庭用のゲームに与えた影響をいろいろほじくり返している所なので、『ドルアーガの塔』について言及されないのがちょっと違和感。
1984年登場の『ハイドライド』は露骨なほどドルアーガだし、ドルアーガファミコン版(1985年)が登場したときのブームの過熱ぶり、わけても「ドルアーガの塔のすべてがわかる本」がベストセラーのトップになり、初めて「攻略本」ビジネスが成立したことなどからも、『ドラゴンクエスト』が少なくとも商業的には、同じ『ウィザードリィ』の影響下にある『ドルアーガの塔』のフォロワーであったことが伺われる。
まぁ、実際にドラクエが爆発的に売れるようになったのは3からなので、アドベンチャー迷路モノ(遠藤雅伸の表現)だったドルアーガが、スキルを要求しないドラクエに取って代わるまでに、市場のほうもそれだけの準備期間が必要だったのかもしれない。その間に『ドラクエ』が『ドルアーガ』と違うユーザー層をつかんだと考えるなら、島国さんのいう「日本のゲーム市場の裾野を広げた」という認識が正しいのだろう。
その観点からすると、「しらみつぶしをすれば,謎解きが苦手でもどうにかなる。」方法論を採用したのは、アドベンチャーゲームにおいて「選択式コマンド」を導入した堀井雄二にとっては2度目のこと*1で、だとすると今度はなぜ市場がRPG一辺倒になったかを理解するのが難しい。今後、このへんについての考察も期待したいところ。

*1:この徹底して、卑屈なまでにユーザーの利便性にこだわる姿勢は、堀井がクリエイターである以前に、編集者であったバランス感覚が関係していると思われる