『ダークナイト』映画評をナナメ読み

● 前作「バットマン ビギンズ」を「こいつには二度とコミックスの映画化を手掛けて欲しくない。続篇を作るなら頼むから監督を変えてくれ」とまでコキおろした以上、ここで おれは自らの不明を恥じねばならぬだろう。畏れいりました。

m@stervision
http://www.ne.jp/asahi/hp/mastervision/

やべ。俺も『ビギンズ』をコキ下ろしてたクチ。というか、「あ〜!? あの『バットマン:ビギンズ』の続編? どーせたいした映画じゃねーに決まってんよ」くらい言ってた気がする。ダメすぎる。
あと、冒頭がまんま『ヒート』だ、ってのは監督が意識してやってたのかー。
ラスト近くのカメラの回転とか、萌えどころが似てて共感度高し。

バートン版のジョーカーはおとぎ話の人物だった。というよりも、バートン版のバットマンはおとぎ話として作られていた。ニコルソンのジョーカーは何だかんだ言ってかわいげたっぷり、結局のところ邪悪な子供でしかなく、しかしそれこそがバートンがフリークスに注ぐ優しい視線でもあった。

伊藤計劃:第弐位相 ダークナイトの奇跡
http://d.hatena.ne.jp/Projectitoh/20080723#p1

さすが作家の人は文章がうまいなぁ。いや、文章がうまいから作家になったのか?
ともあれ、バートン版との比較。個人的には、ファンタジーの世界でサイコvsサイコの戦いを描いたバートン版は、あれはあれで荒唐無稽な「バットマン」を「大人が鑑賞できる映画」にするためのアプローチだったと思うし、少なくともそれは、中途半端なリアリズムに終始した『バットマン:ビギンズ』よりかは成功していたように思う。
アーカムアサイラム」ってどんな話なんだろ? ちょっと読みたくなった。

でも映画『ダークナイト』は、バットマンは自己の存在理由の理解が遅いし、足りないのです。ジョーカーだけがそのことを深く把握している。アメコミのバットマンはジョーカーを「殺せない」のではなく、自らの正義という宿命的倫理を理解しているから、ジョーカーを「殺さない」のです。でも『ダークナイト』のバットマンは、市民に犠牲者が出て反発を受ける状況に悩み、「俺のやってること、間違ってる?」と執事に何度も尋ね、自らの二律背反する存在理由に戸惑うばかり。

アヌトパンナ・アニルッダ バットマンにもっと光を!『ダークナイト
http://d.hatena.ne.jp/anutpanna/20080815

たしかにこれは、俺も「キリングジョーク」を読んで思った。少なくとも、「キリングジョーク」におけるバットマンはジョーカーを受け止める大らかな父性すら感じさせる。笑えないジョーカーのジョークを笑ってみせるくだりのムーアのギリギリの感傷が、『ダークナイト』にはない。ゴードンのモノローグはてんで頭に入んない。
だけど、それも監督の計算で「んなわきゃねーだろ!」という底意地の悪い映画なんではないかと。だから真っ黒。

ノーラン路線の現実的でシリアスで9・11アメリカな世界観(ゴッサムシティというより普通にシカゴ)のなかで、ひょこっと馬鹿馬鹿しいほど「こち亀」に出てきそうな金持ちで、変なコスプレと007ばりのありえないアイテム、チャイルディッシュな乗り物で戦うバットマンがマッチしているかといえば……これもうなぎの蒲焼きや天ぷらを、フランスパンやナンプラーで食べなきゃならんような違和感がぬぐえなかった。

深町秋生の新人日記 ノワールとして傑作「ダークナイト
http://d.hatena.ne.jp/FUKAMACHI/20080901

さすが作家の人は文章がうまいなぁ。いや、文章が(ry
「チャイルディッシュな乗り物」の言語センスに惚れた。あと、アクションとヒロインがなっとらん! に深く同意。確かにノーラン監督って、『メメント』でもキャリー=アン・モスとかテキトーに撮ってたよな。オマージュを捧げた(?)『ヒート』のマイケル・マンもいい加減女優の扱いはヒドイもんだったし、やはりそーゆー監督でないとこーゆー「男映画」は撮れないのかも。しかもそれが『ダークナイト』が日本でコケた理由の一端かも。

なんか同世代の男性ばっかりがこの映画を絶賛してるような。30代後半から40代前半限定映画。