アンダーグラウンド

村上春樹のアレを今ごろ。
恵比寿に通勤していた当時のことを思い出す。恵比寿にはオウムの施設があり、俺はそのすぐそばの定食屋で飯を食っていた。ひっきりなしにパトカーや救急車が通い、サイレンが鳴り響いている。誰もがテレビに釘付けだった。
店を出ると、警官が施設を取り囲んでいる。ものものしい雰囲気だ。やっぱりオウムの仕業なのか、と理解した。厳しい顔をした警官が野次馬を追い立て、俺も会社に早足で帰った。都会では、こういうことがあるのだ。

本の話でしたね。
純化された「情報」で知っていることと、そのベースとなる「語り」そのものとの差、その圧倒的なディティールの立体感にゾクゾクする。
また、単なる画一的な「よき市民」ではない、被害者たちの多様なパーソナリティが重なることで、優れた日本人論になっている気がする。多くの被害者に見られる職業的、個人的な倫理観の強さ*1や、事件とも事故ともつかない、この件に対する漠然としたスタンスなどなど、現代(と言っても10年前だが)日本の都市生活者の世界観を色濃く反映しているのではないだろうか。
難点は、村上春樹本人の文体が混じってくると、急に被害者の実像がぼやけ出し、村上本人の世界観が侵入してくるところ。仕方ないのかもしれないが、どーにかなんないだろうか。

ていうかこれ、キングオブ電車通勤に向かない本だと思う。厚さ重さはともかく、この本で描かれている状況のほとんど(つまりサリン撒布に直接関わらない部分)は、いまの東京の風景そのままだ。
村上春樹がこの本を書いたことで、「日本人とは何か?」というイバラの道に分け入ることになったのも、なんとなく理解できる気がする。

*1:もちろん、このインタビューに応じるような、ある程度の精神的なふるいがかけられた人々であることは念頭におく必要がある。