ダークナイト ライジング

ノーラン版バットマン3部作の最終作。いかにも「これでシリーズは終わりです」的な雰囲気が全編から漂っており、正直、単品の映画としては評価が難しい。
前作から4年後に公開された続編で、作中では8年経っているという設定だが実質、次の年だとしても繋がる話なのであんまり設定として生かされていない。というかこの作品、たぶん原作からあっちゃこっちゃ引っ張って来てるのだろうが、「で、その設定に何か意味が?」って疑問にあまり答えてくれない。作中のドラマ構築に寄与しないとか、突飛すぎたりする設定がやたら多く、ただでさえノーランのダルいアクション演出*1なのに、さらに冗長な印象を持ってしまった。
前作『ダークナイト』でジョーカーの強さと勝利だけを描いてしまった製作者側の反省からか、今回はバットマンに焦点を当てようとした結果、敵であるベインがあまりにジョーカーとやってることが同じで、それに対し前作の実質的な敗北をどうバットマンが覆すのか、その観客の最大の興味もなんかキャットウーマンと謎の黒幕によってワリとあっさりと流されてしまう。違うでしょ!このバットマンは悪を倒して勝てばいいってワケじゃなくて、その悪のイデオロギーを無効化するだけの論理をヒーローが身に着けねば勝ったことにはならない世界だったんじゃあないんかい???*2
というわけで、前作のジョーカーの二番煎じのベインに対し同じように悩み、拗ね、逆ギレし、レイチェルを失った悲しみに8年もの間ひたった挙句そのへんの女と寝るブルース・ウェインにも正直付き合い切れなかった。前作は徹頭徹尾ジョーカーの話だったから、本来のノーラン版ダークナイト・サーガの凡庸さは隠れていたのだ、ともいえる。『アベンジャーズ』と違ってこちらは生真面目でシリアスな作風だから、テーマの弱さと、それにともなう冗長さは本作の大きなマイナス点だろう。
また、女性キャラの扱いのテキトーさも、今回ノーランの大きな課題と感じた。『ダークナイト』では途中退場、『インセプション』では冒頭からすでに死亡、とヒロインに対する冷淡さには定評のあるノーランだが、今回ヒロイン格が二人いて、それぞれに筋に深く関わってくるのだが、どちらも正直願い下げなキャラクターなのに、前述したようにブルースは嬉々として引っ掛かる展開はかなりしょっぱい。『バットマン・リターンズ』でミシェル・ファイファーが演じたキャットウーマンには、人間世界に裏切られた傷があり、同じ傷を持つバットマンとの共感と、それをも寄せ付けない強い諦念とがあったが、本作のキャットウーマンの空虚さは一体なんだろう。どこを切っても、前作でやれていないことをやろうとして失敗している、という感が否めない。
とはいえ、前作さえなければ、シリアスに世界と悪の関係を考えるエンタメとして、これはこれでけっこうな水準まで行っていると思う。『ダークナイト』がどれほどの偶然の上にあの奇跡の完成度を獲得したかを教えてくれる貴重な一作。

*1:特に空中戦のシーンと、殺し合いじゃなくてチンピラ同士の抗争みたいな乱闘シーン

*2:今回ゴッサムの市民は完全に悪の側に振れたと思うのだけど(脚本もそうじゃないと成立しない話になってる)、だとすると本来はそれをいかにして正義の側に振り直すか、というプロセスが必要なはず…だが本作でそれは描かれない。実はゴードンがヒーローだったとか言うだけ