コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜

コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』(以下「コンレボ」)を観た。オリジナルのTVアニメを最後まで観たのは久々なので断言は出来ないが、かなり特殊な作品だったのではないかと思う。以下、かなり複雑な作品なのでネタバレ全開でいきます。

基本的な枠組みとしては、本邦の主要なヒーローたちを、彼らの生まれた昭和史に放り込むというもの。
オリジナルのヒーロー群像劇ということで、タイバニやヒロアカ路線を想像してしまうが、実際には、言ってみればアラン・ムーアにおける『ウォッチメン』や『リーグ・オブ・エクストラオーディナリー・ジェントルメン』(以下LXG)、はたまた山田風太郎における明治もの的なアプローチ*1が取られている。

扱われるヒーローは基本的に「昭和40年代の、TVオリジナルの特撮・アニメヒーロー/ヒロイン」から選ばれ、そこに月光仮面ゴジラなどの古株を象徴的に参加させる、という構成。主人公チームは超人ロックにスーパージェッター、鬼太郎にコメットさん、そこに新加入のオバQ…をそれぞれ彷彿とさせるメンツで、そこに準レギュラーのロボット刑事ウルトラマンマグマ大使などが絡む形。このメンツから察せられるように、本作の「超人」はいわゆる「ヒーロー」より幅広く取られており、本編には直接関わらないもののサザエさん(的な)一家すら登場する*2

日本版ウォッチメンを標榜している作品らしく、本作でも当時の社会状況や事件、実在人物などがほとんど説明なしに登場し、このあたり、当時は生まれてもいないであろう現在の主な視聴者には相当なハードルではないのか、と要らぬ心配をしてしまうのだが、自分のようなおっさんには逆に作品の敷居を下げてくれる作用があって嬉しいくすぐり。とはいえ、作中で描かれる政治家や大衆などの紋切り型の描かれ方など、「大人向け」とも言いがたいあたりに本作固有の難しさも感じる。

個人的にもっとも残念だったのはクライマックスで、もはや三十路になってしまった主人公が、「ヒーロー」の定義を取り戻そうともがくのだが、その結論は世界に遍在し民をあまねく導く「神」になることだった。共同体を見守る、という点で実に「本邦の説話のクロージングとして正しい」選択ではある*3とは思うが、個人的に「力を正しく使って生きていく」主人公が見られなかったことが非常に残念だった。このあたり、力がありすぎる超人でなければ、また別の道もあったんだろうな(風郎太のように)と思わせるあたりが切ない。

あと、本作のラスボスとして、メディアの力で超人を操り管理し、新エネルギーとしての利用までも目論む男が登場するのだが、彼のモデルは電通の立役者の一人、里見甫なのだった*4。彼がラスボスとして選ばれた理由はたぶん731部隊との関わりで、人為的に超人を作りそれを徹底的に利用するそのキャラクターが、超人を守るために自らをも犠牲にする主人公との対比として相応しいから、といったところだろう。たしかに彼は作中でそのように暗躍し、ラストに至ってそのラスボスらしさを存分に開示したわけだが、その反面、電通幹部としての恐ろしさは結局描かれなかったのではないか、という恨みがある。

ここからは完全に妄想だが、主人公ジローの前に立ちふさがるラスボスは、正力松太郎でなければならなかったのではないだろうか?
アメリカの意を受け、原子力の野望を持ち、政府とも裏で強くつながり、暴力を振るうことを全く厭わず、大衆操作に長けたメディア王。ある意味「現代」そのものも始祖である彼を、メディアの寵児である原子力の怪獣≒ゴジラを裡に宿す主人公が倒してこそ、「昭和」と異なる、幻想の「神化」の幕開けとなるのではなかったろうか。

長くなってしまったので、ラスボスが正力松太郎になった場合に懸念される、コンレボにおける「ナマモノ」ヒーローの扱い*5と、「川内康範ヒーローと梶原一騎ヒーローの対立」についてはまた後日。

…この文章、最後まで読んだ人いますかね?

*1:主要登場人物に「風郎太」なるキャラがいるので、制作者も意識しているのだろう

*2:ご丁寧にも不老不死枠で

*3:こないだ読んだ河合隼雄の本にも書かれている http://d.hatena.ne.jp/SiFi-TZK/20150326#p1

*4:ちなみに本作、電通ならぬ博報堂子会社が製作委員会に入っている

*5:札幌オリンピック回が顕著だが、これはゲスト脚本回なので原作者會川昇のセンスから外れているところに注意