オール・ユー・ニード・イズ・キル

日本のラノベがハリウッド映画に!という触れ込みだが原作は未読。「動物化するポストモダン2」で東浩紀が絶賛してたヤツだっけ?という程度の認識で観た。
いきなりネタバレだが本作、鑑賞後の残り方がトムの前作『オブリビオン』を観たときの感想*1に非っ常に似ている。上に行ってどっかん→ヒロインがなにも知らない主人公と再会。から、下に行ってどっかん→主人公がなにも知らないヒロインと再会。と、ただ反転させただけにも見える。というか、『バニラ・スカイ』以後というか『アイズ・ワイド・シャット』以降というかのトムは似たような映画ばかりに出てる(作ってる)ような。で次作がハリウッド版『戦闘妖精雪風』とかマジですかトムクル先生ッ!

話がそれた。
本作の面白さは「映画の面白さ」というよりは、半分くらいは「ゲーム実況動画の面白さ」と言える。ゲーム実況動画の作者はこの映画の編集の妙、ダグ・ライマン(リーマン)特有の動作を抜いていくカット割りによるテンポの良さと、それによる非言語的ユーモアとに、多くを学べるのではないかと思う。
その「生主」的な非常にメタな視点で楽しむ映画だが、プレイヤーキャラクターでもありプレイヤーでもある本作の主人公は、プレイヤーなのであれば本来持つはずの「外部」を持っていない。なので、この映画は「ゲームセンターCX*2にはならず、『スカイ・クロラ』的な「閉じたループからの脱出」がクリア条件として設定される関係で、後半、リセット不可の残機0で初見ステージをクリアせよ!な難問が出てくる*3と、話が異様にシンプルな普通の映画になってしまうのが難点といえば難点か。

その分、前半の「ゲーム攻略」シーケンスはとても楽しめた。残機を潰して少しずつステージを学習してパターンを作るグラディウス感、難しくて進めないルートを諦めて別ルートを試すダライアス感、失敗すると車に轢かれるフロッガー*4、そしてもちろん、袋小路の分岐の先のフラグを拾って前の方からやり直すサウンドノベル感。ラスボスの近くにそこで諦めてしまわないようにもう一個エクステンドが置いてあるところなんかは、ものすごく教科書的なレベルデザインで、任天堂ゲーの魂すら感じた。懐かしい「パターン構築とその実行時の集中力」を要求されるアクション/シューティングゲームのシンプルな「死んで覚えろ」な面白さと、恐竜的進化を遂げた日本テキストアドベンチャーの最盛期とを、現代的なFPS以上の画ヅラ*5で見せてくれる。『YU-NO』ミーツ『HALO』*6。ある意味、TVゲームでは観ることの出来なかった高いレベルのジャンルのクロスオーバーが楽しめる、これ以上ないくらい贅沢な「ゲーム映画」だと思う。

あと雑談。個人的に興味があった、ラノベらしからぬタイトルについて。鑑賞前は、『オール・ユー・ニード・イズ・キル』なのだから、どう「ラブ」を「キル」にオーバーラップするかが気になっていた。で結果として、ラノベなら恋愛こそが大テーマ(ラブ≒キル)でそこにフォーカスしたストーリーであり、タイトルなんだと思うし、その意味で設定としては納得できたものの、この映画は明らかにそのバランスが違う。「ラブ≒キル」は徹底されていない。『EDGE OF TOMORROW』という原作と違う原題にもそれは込められている気はする。

*1:http://d.hatena.ne.jp/SiFi-TZK/20130623#p3

*2:奇しくも本作と同じ年に映画化、という繋がりもある

*3:脚本の都合で残機が増えたり減ったりするのはアニメ版『時をかける少女』かと

*4:ここは映画館で爆笑したが、これは日本人では出てこない、『フロッガー』大好きなアメリカ人の映画ならではのシーンだとも思った

*5:最初の装備を選ぶあたりのリソース管理もFPSっぽい目配せ

*6:原作時点で既にそう設定されていたんではないかと。