ゼーガペイン

バンダイチャンネルにて全話視聴。本放送時はまったくの未見。
プロデュース鵜之澤伸、というあたりで、なんとなーく『エウレカセブン』的なゲームを絡めたメディアミックスっぽい企画の立ち上げ経緯が想像されるが、なによりゲームソフトがXbox限定、主役ロボの色もXboxカラーという、なんとなくどころか相当にヒモ付きなビジュアルがまぶしい。
と、いう見た目で十分プロモ効果のアリバイ成立!とばかりに、内容面はかなりディープでマニアックだ。
基本的には『マトリックス』以降のサイバー世界ネタなのだが、設定面の多くをグレッグ・イーガンの『順列都市』『ディアスポラ』から参照しており、「生身からサイバー世界にダイブ」という『攻殻機動隊』的プロセスをすっ飛ばし、「サイバー世界に移入後のリアル人類は絶滅済み」という、マス向けのエンタメとしてはかなりアウト気味な設定を比較的早い時期に開示してくる。
そこを緩和するために学園モノであったりボーイミーツガールであったりダブルヒロインであったりの「普通のアニメっぽさ」を繰り返し「かけがえのない日常」として描写しているのだが、おやおや?生身の人間の生活や欲望から解脱というか一種拒絶していたイーガン作品と違い、バーチャルである「かけがえのない日常」をリアルとして取り戻す、という、よく考えると非常にネジレた方向へと、作品は走り出す。
本作、「是(レ)我(ガ)痛(ミ)」という、仏教的とも、『ファイト・クラブ』的ともいえるテーゼがタイトルからして提示されているのだが、学園青春モノの枠組みからスタートしているせいか、そもそも作品が青少年向けに設定されている*1せいか、仏教SFの傑作たる光瀬龍の諸作や見方によっては極端にペシミスティックなイーガン作品とは異なる「人間賛歌」を基調にストーリーが進んでいく。テーゼである「痛みこそ生命そのもの」*2も「肉体ではなく心の痛み」であり、「心の痛みを持つオレは人間だ!」という主人公の主張がストーリーをドライブするのだが、正直その「痛み」もバーチャルなものなのだから、いっそデータ人間こそが人間であり、生身など必要なかった、という話にどうしてならないんだろう、と後半ずっと首をひねったまま見る羽目になった。たぶん多くの視聴者は「生身の体が敵に奪われた」という視点でこの作品を見ていただろうが、「視聴者自身が生身の身体を持っていて、それを愛着している」というSFにしてはずいぶん素朴な価値観に作品が依存していることに、本作の(これほどまでに尖がった設定を持ってきた)製作者たちは自覚的だったろうか。
終盤、人類の退化というか先祖帰りが着々と進むなかで、製作者がもうひとつ、ベースにしたであろう作品に思い至った。佐々木淳子のSF少女マンガ『ダークグリーン』がそれで、いかにも少女マンガらしい異世界召還ファンタジーとしての側面を持ちつつも、『マトリックス』にも匹敵する異世界/現実の価値転倒を見せた傑作だ。
ダークグリーン』における、記憶を失って異世界に生きる主人公、彼をいざなう異世界生まれの美少年(美少女)、「敵」の見えなさ、世界の謎とキャラクターの秘密がリンクし、ラストで主人公が記憶を取り戻し異世界/現実の最初の架け橋となる展開などなど、ガジェットと取り払うと骨格のかなりの部分をなぞっていると感じる。と考えると、やはり最終的には「人間賛歌」で幕を閉じた『ダークグリーン』同様、『ゼーガペイン』も現実肯定なエンディングを最初から目指していたのだ、とも思える。
高度なSF設定にくらべてテーマや表現があまりSF的でなかった憾みはあるが、古今東西のSFを今風のアニメとして纏め上げる手際はとても勉強になった。SF世代の製作者の想定した(ゲーム世代の)視聴者層に対して「生身の痛みっていいもんだよ」と語りかける、ずいぶん老成した感じのアニメでございました。

*1:主人公の名前が少年ドラマシリーズであるところの「時をかける少女」から採られているのも象徴的

*2:これを額面通り解釈すると『ファイト・クラブ』になる