ソラリスの陽のもとに

ディアスポラ』のじゅうたん生物のことを考えていたら無性に読みたくなったので20年位ぶりに再読。映画版ともあいまって断片的な記憶しかなく、大雑把に言って「宇宙ステーションでひたすら妻の亡霊にさいなまされる話」くらいに思っていたら、再読して、本当に最初から最後まで「主人公が宇宙ステージョンでひたすら妻の亡霊にさいなまされる話」以外の内容はほぼない、ということに驚いた。
しかし木更津のはずれで映画とゲームとSFとバイトのことしか考えずに生きてた留年生だった当時と違い、「死なせてしまった妻が再び現れる」ことの歓喜と後悔と煩悶とがわかる歳になってから読む本作は、なるほどどんな奇怪なベムSFよりも恐ろしく、そしてとてもエモーショナルだ。そこに眼をつけたからこそタルコフスキーは本作を映画化したのだろうし、そこを中心に据えた映画を撮ったことで、レムの逆鱗に触れたのだろうとも思う。
半世紀前の本作でレムが描いた「圧倒的に理解不能な他者」は、イーガンが最新テクノロジーの想像力で描いた「理解不能であることが理解できる他者」よりも、もしかしたら更に現代的だ。
どんなに高潔でタフで機知と冒険心に富むヒーローであっても、「圧倒的に理解不能な他者」にあってはその感情移入の限界にぶつからざるを得ない。レムは、人間の価値観で宇宙や知性を測ることの危うさを、この、さして長くもない小説で見事に描ききっている。もはや現代人の必修図書といってもいいと思う。みんな読め!