メッセージ

こちらもまた、非常に内省的な映画である。平和的なファーストコンタクトを描いた生真面目なSFとして『コンタクト』と比べる向きもあろうが、「未知と宇宙とに対峙する人類のアイデンティティ」としての個人の信仰が描かれた『コンタクト』と異なり、こちらはその「未知と宇宙」が単なるガジェットとしてしか登場しない。そこで描かれる異星人像は、ビジュアルこそ『ミスト』を思わせる禍々しい姿のワリに、その行動の動機はわかってしまえば拍子抜けするほど、合理的かつ単純なものだ。
つまり今作、あの『インターステラー』がそうであったように、徹底的に「人間」にしか興味がない作品なのだ。そのため、手の込んだタイムパラドックスを仕込んだラストシーンにしても、「ああ、こんな反則をやろうとしたらSFにするしかないよね」「でもこれって、基本的には泣かせアイテムオブ泣かせアイテム"死者からの手紙"の未来バージョンじゃね」という醒めた感想になってしまった。端的に言えば、「すぐれたSF」ではなく「すぐれた感動もの」として作られた作品であり、現代の観客の感動のボタンを押すようチューニングされたSFという点で、細田守版『時をかける少女』あたりと同列に語られるべき映画といえる。
ところで今作、映画の前に同じ監督の『ブレードランナー2049』の予告が流れた。『メッセージ』本編でも見せてくれたように、ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督は「モノ」に対する強いフェティッシュを持った、まさにリドリー・スコットと同じ資質を伺わせる映画作家だ。その監督の手がけた『ブレードランナー2049』の予告はやはり素晴らしく、あまり期待していなかった同作に対しての期待度はかなり上がった。どういう物語嗜好を持つ監督かを見極める意味も含め、10月の公開を正座して待ちたい。