テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

twitterで竹熊氏が「『進撃の巨人』のブームは「キャラ」からの揺り戻しが始まっている証ではないか」的なことを言ってたところから。
いわゆるガンガン系の雑誌を例に、現在のマンガが「キャラクター」ですらなく、「キャラ」で構成されている、としてその自覚的な源流を『ぼのぼの』に求める前半部は非常に面白い。
これまでゲームの「キャラグッズ化」はマンガ、アニメの「キャラ化」に対応したものと考えていたが、マンガの側からは、もともと「キャラ」しかないゲームの影響でマンガが変質した、と捉えられていたようで、なるほど、確かに『ストリートファイターII』のブーム以降、TVゲームは急速に「絵としてのキャラ表現」が充実し、特に格闘ゲームにおいて「キャラ立ち」「キャラ萌え」ユーザーを多数生み出した時期と「マンガの変質」時期*1は重なる*2
また、「作品」が「ジャンル」に還元され、また「ジャンル」が「作品」に影響を与える、という概念も興味深い。「ジャンル」を「文脈」と読み替えてもいいかもしれない。ジャンルを横断し、『ぼのぼの』の方法論が『あずまんが大王』、そして「萌え4コマ」という別ジャンルを生み出した、という指摘も面白い。
本の後半の、変質前の(手塚治虫の)「マンガ」とはなにか、を定義する部分は自分の興味から外れているせいか、それほど楽しめなかった。「マンガ」そのものに興味のあるひとなら、こっちの方が面白いかも知れない。
この本を読んで、これのゲーム業界版『シゲル・イズ・デッド』*3がすごく読みたくなった。「物語」同様に時系列の娯楽である「レベルデザイン」を解体しつつある、MMORPGからソーシャルゲームに続く現在のゲーム業界(および任天堂の企画開発部)と、それと対峙する旧来のアーケード、コンシューマゲーム業界(および任天堂情報開発部)が「フランチャイズ*4に蝕まれる様を、通史として読めたらすごく面白い気がする。俺が。

*1:手塚治虫の死去は1989年、ストIIの稼働は1991年

*2:少年ガンガン」発行元のスクエニは「物語」志向のゲームばかり出しているが、読者のエンタメ接触傾向としてはゲーム側がメインなのだろう。ガンガン系の源流、「ドラゴンクエスト 4コママンガ劇場」は1990年から

*3:まだ死んでないどころか超現役バリバリなので失礼ですが

*4:「キャラもの」「続編もの」の単なる言い換え