TVゲームの偏狭なゲームデザイン

http://blogs.dion.ne.jp/arere/archives/2324511.html
ゲームデザインのこれから(8) 材料はあるがレシピが無い」。後輩がなにやら言うので見た「ゲームのマボロシ」さんとこで。
まずもって「ゲームデザインの発見」という言葉に違和感を覚える。ゲームデザインとは発見するものか? 『テトリス』はパジトノフが自作ソフトを「これがもしかしてTVゲームというヤツか!?」と思ったということだが、この時点では既にゲームとしての背骨となるルール「並ぶと消える」が入っていたわけで、その意味で「ゲームデザインを発見」した、とするには抵抗がある。
他方、『バンゲリングベイ』から生まれた『シムシティ』は、正確には「マップを作るのが面白い」という「発見」をいかにルールを入れてゲームの形にするか、がゲームデザインであり、そう考えるとこちらはもっと泥臭い作業と言える。
というわけで(パジトノフのように)、「作ってみたら面白かった」を「発見」と呼ぶことにするなら、既存のどのゲームジャンルにおいても、「可能性が掘り尽くされて」などいない。ものがファミコンでも「発見」は出る。必要なのはルールだけだ。ルール(=可能性)は無限、それはボードゲーマーなら身を持って感じている。クラマーが、またクニツィアが、トイバーが、例えば「もう建築系ゲームの可能性は閉じた」と見切りをつけることがあるだろうか?
特にTVゲームのボードゲームを見るにつけ、TVゲームにおけるゲームデザインの偏狭さに驚かされる。交渉部分をうまく逃げた『いたスト』『じぱんぐ島』、2つのルールを合わせた『タワードリーム』『カルドセプト』(マリオパーティは論外)…俺も前科者なのでまったく人のことは言えないが、基本的になんかの派生ゲームしかない。派生のレベルを越えた例外は、『大江戸風水因果律』くらいか?
実はこの状況はどのゲームジャンルも同様で、あるジャンルが枯れたのは、樹形図の先の一本が袋小路を迎えたか、それとも単に商売にならなくなったに過ぎない。だから、次はオンラインだタッチパネルだハイデフだと言う前に、ゲームデザイナーにはルールを考える仕事がある。もちろん商品なのだからブーム、題材、キャラ、ボリューム、各種のクォリティなど、ゲームデザインより優先する要素はあるにしても、それができない、技術の進歩待ちのゲームデザイナーには、とっとと廃業して頂きたいものだ。…まぁ、単に時間の問題でもあるのだろうが。