インセプション

けっこう前に観たけど忘れる前に。
ジャンルとしてはアクション映画だが、ノーランらしく、アクションとしてはやっぱりパッとしない。『オープン・ユア・アイズ』(『バニラ・スカイ』)や『ザ・セル』なんかの「不条理サスペンスとみえて実はSF」系でたぶん史上もっともカネのかかった映画。
ダークナイト』監督の最新作! という触れ込みにダマされた感はあるが、『メメント』で健忘を、『インソムニア』で不眠を扱ったクリストファー・ノーラン監督はよほど「人間の記憶」ってものにご執心らしく、本作もまた、「他人の記憶をいじる男」の話だ。
それがまたなんでアクションに、ってえと、「他人の心に侵入する」=侵入のプロ*1がいる世界なんだよ! とのびっくり理論でスパイものとして演出されているせい。007や『ミッション・インポッシブル』を引用し、本作唯一のSF的ガジェットのハズの入眠機*2はどいつもこいつもスーツケースで携帯してる。冒頭ミッション失敗→仲間捜し→本ミッション開始の流れは、イヤでも初代デ・パルマ版『ミッション・インポッシブル』を彷彿させる。
で、本作最大の欠点が、この「スパイもの」の枠組みじゃなかろうか。実はコレ、ハリウッド映画とは思えぬ「俺ルール」の多い作品で、観客がとにかくストーリーと作品内ルールとの整合性をチェックしなきゃなんない映画だから、アクションシーンが単なるストーリーの停滞でしかないこと、また、そのアクション演出が相変わらず拙い*3ことの2点で、ノーランはこの作品を「スパイもの」にすべきではなかったと思う。
とはいえ、2時間半の長尺をそれなりに楽しめたのは事実で、「三半規管の感覚だけ現実依存」というこれまたけったいなルールによるキテレツビジュアルと、それをあくまでマジメなスパイものとして演じるキャストとのギャップが生み出す独特のユーモアは捨てがたく、たとえばシャマランの『アンブレイカブル』や『サイン』に通じる、大ボラ映画だけが持ちうる唯一無二の輝きを持っていると思う。
あの合わせ鏡やエレベーター、カーテンの演出など、とにかく「<意味>の逐次的なビジュアル化」にこだわるノーラン監督の演出はもはやSFというより哲学の領域に突き進んでおり、この「記憶三部作」のあと、彼がどこに進むのか、「バットマン」シリーズが『マトリックス・レボリューションズ』みたいなことになってしまうのか*4、非常に興味がそそられる一本だった。

*1:ちなみに本作のデカプーは残念ながらとてもプロとはいえない

*2:これについて一切説明がないあたり、ノーランが狭義のSF=科学物語にまったく興味ないであろうことが伺われる

*3:予告で一番驚かされたシーンがアクションシーンでは使われず、単なる演習だったのはけっこう失望した

*4:ダークナイト』が『マトリックス・リローデッド』と似ても似つかないことを踏まえた上で