V FOR VENDETTA

続き。
少なくとも連載開始時期はそれなりに古い『V FOR VENDETTA』は、『WATCHMEN』以降と違い、ディティールに膨大な情報を突っ込んでいないので、ムーアものにしてはテーマがシンプルだ。
それは「マイノリティを迫害しない、真のアナーキズムの実現」だろう。Vの本名や経歴等、正体は結局、最後まで分からない。収容所に入れられていたところから、政府の弾圧対象であるマイノリティである、と推測できるに過ぎない。だが、それで良いのだ。「彼」の強烈なアイデンティティは入所以後に発現したもので、「それ以前に何者だったか」を問うことにまったく意味はない。「仮面の下は理念しかない」は単なるハッタリではないのだ*1
が。
その「理念」、Vが説く「真のアナーキズム」が映画版では描かれない。倒すべきは独裁政権で、為されるのは、私怨による政府転覆である。その過程、特に映画オリジナルのクライマックスがもたらすビジュアル的な高揚感などには独自の魅力を発揮しているものの、原作の映画化としては、「仏作って魂入れず」の感がある(やや言い過ぎ)。
「イヴィーはなにを受け継いだのか?」に答えが出ない*2映画版、確かに原作者がクレジットを外すだけのことはあるが、ハリウッド映画としては、随分チャレンジャブルな作品*3であることも確か。このチャレンジが、ウォシャウスキー兄弟の次回作にも生かされることを期待。ちなみに今作での同性愛の偏重は、『バウンド』でもあったし、この兄弟の(というか兄/姉の)基本テーマの1つなのかも。

*1:「V」成立までの過程と、その初期の行動パターンはベスターの『虎よ!虎よ!』に、引いては原典の『巌窟王』によく似ている。アラン・ムーアのことだから、オマージュかもしれない。

*2:凡百な「FREEDOM!」だとは思いたくない。

*3:そもそもアメリカ人が出てこない、イギリスの話だし。