「ゲーム」と「TVゲーム」の深い溝

実践的なゲームデザインの指針として、ここ数年、個人的に常に意識させてもらっているテキストがある。
日本ボドゲ界の重鎮(?)おの氏*1による翻訳があるので、一部を転載させていただく。

何がゲームをよいゲームにするか
http://www.tgiw.info/etc/factor.html

  1. 独創性
  2. 何度もできる魅力
  3. 驚き
  4. 機会の平等
  5. 勝つチャンス
  6. キングメーカー効果」がないこと
  7. 序盤で脱落しない
  8. 適切な待ち時間
  9. 創造性
  10. 統一感
  11. コンポーネントの質
  12. ターゲットの明確性/ルールの一貫性
  13. 緊張感
  14. ゲームの習得しやすさ
  15. 複雑さと選択の多さのバランス

詳細はリンク先を(現在、なぜだか図が見えないようだ)。ドイツゲームの巨人、クラマーの手になる「よいゲームが備えるべき特徴のガイドライン」で、対人ボードゲームに限らず、商業ゲーム一般のルール創作に適用できるものだと思う。
が。
最近、日本のTVゲームはこの価値観を意図的に排除し始めた。特に、最近大流行の任天堂Touch!Generationsシリーズ(以下TG)『エレクトロプランクトン』『nintendogs』『どうぶつの森』あたりが顕著で、そもそも“勝敗”、“緊張感”という概念を「持たない」ところまでシェイプアップしている。クラマーの考察にこれら諸作があてはまらないのは、これらが言ってみれば、TVゲームのUIを持った“玩具”だからだろう。快感装置、と言い換えてもいい。なんども同じことを書いてる気がするが、極論すれば「ゲームであることそれ自体が孕む不快感」にユーザーが耐えられない時代の産物なのだ。
そう考えると、最近の宮本茂の微妙すぎる任天堂での立ち位置も合点がいく。日本でいつまで経ってもボードゲームが流行・定着しないのも道理。いまだマッチョイズムはびこるゲーセン(男性原理)から、“いま・ここ”での快楽を提供するTG(女性原理)への流れが、急速に家庭用ゲーム市場を書き換えつつある。
そういえば、『えいご漬け』に入ってるTGのチラシには「どんどん、あたらしいエンターテインメントを。」とある。SFは90年代にエンタメ業界すべてに拡散し切り、その武器の多くを失った。同様にあと10年後、“ゲーム”専門誌が国内1誌だけ*2にならないと、一体誰が言い切れるだろう? そのとき存在するゲームデザイナーは、現在シーメンスの要職にあるというクラマーのように、もはや専業デザイナーではないかもしれない。

*1:「Table Games in the World」 http://www.tgiw.info/

*2:個人的に、それはユーゲーのような気がする。ちなみに本邦のSF全盛期には、5誌のSF小説専門誌があったそうな