文明が衰亡するとき

去年に読んだんですが感想をお蔵だし。これまたフォロワーの方にお勧めいただいた本。

文明の衰亡を避けられないものと捉え、そのケーススタディとして古代ローマヴェネツィアを、その現在進行中の応用例として現代アメリ*1を論じている。日本についても多少触れられているが、そもそも古い本でもあり、そこ単体では、あまり見るべき部分はない。
面白いのは「帝国」としてのローマとアメリカ、「海洋通商国家」としてのヴェネツィアと日本がそれぞれ選ばれている点。
武力で他国を併合していき、その先々に「ローマ市民」を生み出した古代ローマ、コカコラナイズによって「アメリカ市民」のライフスタイルを一気に広めたアメリカの両「帝国」が、その拡張政策によって帝国内部の管理メカニズムをも支えていたとするあたりなど、タイトルの「衰亡」に限らず、文明の栄枯盛衰それ自体を俯瞰的に眺められる点は素晴らしい。また、多数の論を紹介することによって、巷で人気の「繁栄の驕りやそれにともなう腐敗が、すなわち衰亡の原因である」といった(自己啓発めいた)教訓的な俗説に安易に流れないところも、作者の誠実さと、歴史を学ぶことへの矜持を感じる。
ただ、安易に歴史を類型化せず、「いい話」へ回収されてしまうことを慎重に避ける姿勢が、主張のわかりにくさに繋がっている気もする。作者のスタンスがそもそも「文明の衰亡は避けられない」だから、「衰亡をいかにして避けるか」という処方箋を期待して読む本ではないのだろう。
というわけで、通商国家ヴェネツィアの衰亡の原因が「ポピュリズムの台頭」や「文化の衰退」といった、どこかの大阪市みたいなものであったとしても、その解決法は書かれていない。
逆に、本書の分析を裏切り、なぜか延命された(ように見える)アメリカ帝国の繁栄続行の理由も、読者に委ねられている。
雑な分析をいうなら、その後のITの隆盛においてアメリ*2が果たした役割は、「モノ」ではなく「テクノロジー」の進歩によって初めて可能になったものだ。
そのテクノロジーの進歩は、例えば第2次大戦の勝利によってもたらされたドイツの科学者であったり、その後の冷戦によって生み出されたソ連との宇宙開発競争の産物であったりもするのだが、どちらにせよ、少なくとも「テクノロジーの一般社会への還元」において、アメリカはいまだに世界において第一線を走っていることは間違いない。
「帝国」の構成員たる「市民」に技術という果実を与え、その市民がみずからその果実を他の市民に、また他国の市民に分け与え、帝国の版図拡大に貢献する。
このサイクルはいまだ強力だ。アップル、フェイスブック、グーグル、アマゾン、そしてたぶん、いずれはテスラなども。
「技術」を過去には「製品」、現在では「サービス」の形にすることに長けたアメリカ式システムは、驚くほど柔軟に、避けえないはずのアメリカ文明の衰亡を予防してきた。もしかしたらそれは、本書で語られた80年代のアメリカ文明とは異なる「文明」なのかも知れない。言い換えれば、文明の陳腐化をおそれない国民性とでも言おうか。どうもそのあたりに、すっかり衰退してしまった日本の新たな文明の芽*3もあるような気がする。
古代ローマと80年代とを同じ「過去」として俯瞰できる貴重な一冊。近代、現代史を相対化して見られる入門書としてもおすすめ。

*1:とはいえ、この本が出たのは80年代なので30年前の未来予測の正確さは推して知るべし

*2:といっても、それはシリコンバレーという当時存在しなかった企業群、背景思想から生まれたものなのだが

*3:「復活の芽」ではない