将棋の駒はなぜ40枚か

伝統遊戯のルールの揺らぎについて、例えば将棋会館なんかの果たした役割ってどんなもんかな?とか言ってたところtwitterでフォロワーの方に教えていただいたのがこの本。
タイトルの「なぜ40枚か」部分は早々に明かされ、どちらかというと、将棋という文化がどのように日本に定着していったのか?を解き明かす文明史の本だった。そして、最初の疑問の答えとしては「将棋会館は関係ない」が正しい。
将棋は西洋のチェスなどと共に、インドを発祥とする同じゲームを祖に持つボードゲームだ。そして、その渡来時から比較的早い段階で、現在の「将棋」につながる「小将棋」と、もっと複雑で盤も大きく駒の種類も多い「大将棋」が並列して遊ばれる、という様相を呈していたらしい。
14世紀に応仁の乱があったことで、ルールが複雑でプレイ時間も長かった大将棋が嫌われ、よりコンパクトな中将棋へと変遷したあたりなどの、社会の影響によってゲームルールが変わっていくのは非常に興味深い。そして最初の小将棋には角、飛車はなく、どちらも中将棋からの輸入であった。だいたい16世紀から17世紀にかけて小将棋に飛車角が加わり、その頃天下人となった徳川家康が小将棋の愛好家であったことから小将棋に「お墨付き」が与えられ、ルールが全国的に整備されていったらしい。このあたり、先行してお上のお墨付きを得ていた囲碁や、お墨付きがなかったために、今に至るまで全国にローカルルールが色濃く残った麻雀と比べると特に面白い。
麻雀との比較でいえば、麻雀がいまに至るまで「ギャンブル」の文脈に乗っているのと対照的に、大橋宗桂などの江戸期の将棋家は、賭け将棋を固く禁じ、段位認定を一手に握っていた権力を利用してギャンブル色の払拭に努めた、というあたりは、もちろん先行する囲碁の例に倣ったのだろうが、現在における将棋と麻雀の受容のされ方の違いについて、非常に興味深かった。
現在においても、遊戯であったテレビゲームがふたたびギャンブルに接近しつつあり、その意味でも歴史に学ぶことは多いと感じた。
どちらかと言うと研究レポートのような、素っ気無く慎重に予断を避けた文章が続くので誰にでも薦められる本ではないが、特にゲームデザインに興味がある人なら読んで得る物は必ずあると思う。おすすめ。