「正しい」という言葉の使い方

事実や現象を議論している最中に、善悪の概念を持ち込む人がいる。気持ちがどうとか言い出す人がいる。強制するなと怒り出す人がいる。
なぜだろう?
と思ったときに、どうも「正しい」という言葉が、それらの人の脳内で「清く正しく」的な「善」へと変換されているように思える。
論理的に話を進めるにあたっては、合意を得つつ会話を進める必要がある。ある理論を支持するときに、「その説は正しそうだ」ではなく、「そう考えると合理的だ」とか、「そう考えると現実に合う」とか言い換えないと通じない、ってことなんだろう。
つーか、そーゆー曲解をする人って、なんでも「いい話」にしたがるとか、すべての事柄に善悪のレッテルを貼らないと気がすまない病気なのかも。で、その患者はすげー増えてるかも。