CEDEC 2009

ほー、今年のCEDECは面白い講演がいっぱいあったみたい。特に基調講演。

■「ポートピア」は「ドラクエ」の前フリだった 堀井雄二氏のゲーム哲学

 だが「ゲームが発売され、PCショップでデモを見たら、僕が想定してない言葉をみなさんが入れていて、プログラムが反応しなかった」という。「それがすごくいやで」コマンドのテキスト入力方式を捨て、コマンドを選ぶだけで進めるようにした。

 ファミコン版ポートピア発売の翌年・1986年に、初代ドラクエを発売。コマンド選択式のインタフェースは、ドラクエにも取り入れた。

これは3日目。こないだ書いた内容*1は間違ってなかったようだ。
それよりなにより、注目はこっち。

■【CEDEC 2009特別企画】東大名誉教授 原島博氏特別インタビュー 「主役が交代している」とは何を意味するのか!? 情報技術のスペシャリストにゲーム産業の未来を聞く

原島氏: そう思います。ここ20年ハード自体が発展途上で毎年毎年進化してきた。それに依存してハードがここまで進歩したので、なんとしてもそれを活かさなければいけないという形で、ソフトが作られてきました。これからもハード自体はまだ進化するでしょう。でも、ゲームにとってハード自体は本質ではない、本当のゲームの面白さはいったいなんだろうということになったときに、ゲーム業界が大人になると思います。

 グローバル化ということで、アメリカから学ぶ点はもちろんたくさんあるのですが、一方でアメリカを追うのではなくて、1人1人が原点に立ち返って自分にとってゲームの面白さは何かということを考えて、そして1人1人が考えていることを活かす仕組みを作ることが重要です。そういった仕組みをどのように日本で育てていくかです。これは対策主義だと難しいですが。

 ということで、遊びは子どもにとっては大人になるためのシミュレーション、大人にとってはストレス解消のための気晴らしだったのですが、いまは子どもの社会がストレス社会になってしまった。すると今度は子どもは気晴らし、さらにはストレス社会からの逃避として遊びを求めるようになってきた。その逃避の場が魅力的であればあるほど麻薬と同じような形で逃れられなくなってしまう。当然ながらマイナス要因が出てきます。社会的にも攻撃される。これは難しい話ですが、今のゲームは子どもの逃避行動を利用して成り立っている。数十時間やるだけのものでないと人気がない。数十時間そこに籠もれるだけの面白さ、長さがなければだめなのです。

史書にはそうしたことをワンパラグラフでひとつのシナリオの中で書かなければならない。そしてそれを100年単位、10年単位の歴史と関連づけていく、そういう講演です。ITは、1年単位で見ると大きな変動があります。なかなか法則は見えない。しかし、少なくとも10年単位で見ると、明らかに存在する法則に従って進化しています。主役も交代しています。

■「僕にとってゲームは悪」だが……富野由悠季氏、ゲーム開発者を鼓舞

 同じように、デジタル技術やツールを使うことだけに精一杯になってしまっていて、10年後に残るゲームかどうかと考えることを、ここ10年くらいしていなかったじゃないかなと思います。考えられていたらとっくの昔にテトリスを突破するゲームがあっただろうけど、ないわけですから。事実が証明している。

 でもその前に。今、わざわざ、「ゲームのはじまりは何だったのか」という話をしました。それが一番重要なことです。そのことを絶えず思い出してください。つまり、原理原則で考えろ、ということです。

でも、原理原則に立ち戻って考えて、その上で次の来年、5年後、10年後、20年後にどうするか、10、20年後に対応できるある方向性を示した作品の形を考えるわけです。ゲームの根本はどこにあるかを考えてください。

1日目の原島教授と、2日目の富野監督。びっくりするくらい同じ事言ってる。しかもどっちも、誰でも言えるこっちゃない。どちらも外野だが、外野の視点を生かした、本質を衝く内容になってる。
調べたら原島教授は64歳、冨野監督は68歳。なるほど、TVゲームの父と母であるコンピュータ・サイエンスとマンガ・アニメの世界の両巨人は、ほとんど同じ歴史認識でその子どもたるゲーム業界を眺めている、と。
これはかなり重要な事実だ。業界はこの提言を生かすのか、黙殺するのかで、その真価が問われそう。