なぜ、日本のゲーム業界は世界のリーダーではなくなってしまったのか

新清士のゲームスクランブル 日本のゲームは世界一ではない 「和田宣言」の重みを考える
http://it.nikkei.co.jp/digital/news/index.aspx?n=MMITew000031102008

とか、

島国大和のド畜生 日本のゲームは世界一
http://dochikushow.blog3.fc2.com/blog-entry-968.html

とか。
まずは発言のバックボーンから。
スクエニ和田社長は野村証券出身で、これまで見てきた限り、その発言のほとんど(CESA会長としてのものを含む)は、投資家向けのアピールであったと考えていい。社長ではあっても、CFO的な立場の人物と思われる。
そーゆー文脈で読むなら、和田発言の真意は「カネをかけずに(手持ちの人材リソースで)巻き返せるんですよ」と読める。現場に「知恵と努力とコミュニケーションで巻き返せ」とハッパをかける一方、投資家に安心を与えるような発言。事実、そう口では言ってもスクエニ自体は海外向けのチャレンジをほとんどしてないし。

記事を書いてる新氏は、取り上げる事例の偏向具合や、最終的な主張がなぜかいつも同じ「日米の開発システムの違い」になってしまうところから鑑みるに、アナリストというよりアジテーターとしての性格が強いと考える。
著書『「侍」はこうして作られた』から一貫して、ゲーム業界のプロジェクトマネジメントに警句を発し続けている新氏は、今回も、和田発言にかこつけて持論を展開している、ように見える。ちなみに、いまの業界に必要な存在である、とも思う。

対する島国さんの発言は、常に現場の開発者の声であったわけだが、今回はちょっと心理的に下請けに寄り過ぎな感じ。優秀な頭脳が揃っていたから日本がゲーム立国になりえた訳ではない以上、たぶん、優秀な頭脳が揃っている欧米並みに人材を獲得できたとしても、せいぜい互角がいいところだろう。また、給与水準は低いが、同じ規模のゲームの制作にかかってるカネも、単に日本のほうが高い。理由はともかく、欧米のパブリッシャーの「大作」は本邦の「大作」に比べ、規模や期間の点で驚くほど圧縮されている。*1

もっと言えば、実は比較対照としてハリウッドやアメリカのゲーム業界を云々することは、今やそれほど意味はない。実際にEAであったりTAKE2であったりActivisionであったりUbiであったりのゲームは、いまや日本以外の世界中で作られている、といってもいい。何百万本も売れるビックタイトルも、実はカナダだったり欧州だったり北欧だったり上海だったり、はたまたその複合だったりのディベロッパーによって制作されている。

俺の考える「世界一でなくなった理由」もそこにある。
「いかにして、閉じたコミュニティ以外で質と量を両立させるか」それに尽きる。欧米、特に欧州のパブリッシャーであるUbiあたりに顕著だと思うが、「徹底した明文化」による着実な質的向上*2と、グローバルな社内コミュニケーションシステムの整備による(公用語の設定含む)人材リソースのダイナミックな流動性
そりゃー勝てませんとも。

と、いろんな人の発言にかこつけて、俺もいつもの持論を展開してみました。

*1:メタルギアバイオハザード、FFの新作にどれだけ時間がかかっているか、その間に欧米各社は何タイトルの大作をリリースしたか、を考えるとわかりやすい。

*2:ともにディレクターが交代した『デビルメイクライ』と『ゴッドオブウォー』の初代と二作目の違い、と言えばわかりやすい?