ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q
映像はまさに日本アニメ技術の集大成だけあって、アイディアも豊富でカネも手間もいっぱいかかっ(ry
いや、ホントに映像はスゴイことになってるけど、観てるあいだずっと「これ、まさかTV版最終話で綾波が遅刻遅刻ってやってた部分を2時間やるんじゃないよねまさか!?」とか「ああ、このどうでもよくなる感じ、映画から強制途中下車させられる感じは、『ハウルの動く城』のよーだ」と思い続けていた。「お話」を軸に観るのは相当ツライ。同じアニメでいうなら、『REDLINE』に近い映画、と考えるといいのかも。
トニたけ先生は『トニーたけざきのエヴァンゲリオン』で「エヴァの半分はエロと裸体」と喝破してたが(残りの半分はオマージュとバイオレンス)、しかしそのエロも裸体も本作ではずいぶんと後退*1 、スケベ親父程度のフェティシズムに落ち着いてしまった。カメラワークにも童貞くさいネチっこさがなく、演出もフォローがないのでマリがおっぱいぶるんぶるんしてもエロスの残り香が画面に残らない。やっぱヨメで満足してしまったのか。 エロとバイオレンスが拮抗して横溢していた旧作は遠くなりにけり。
映像派映画監督は晩年、「映像にのみ執着しお話はテキトー」になるという都市伝説があるが(出所は俺)、この先鋭化し意味が剥落していく*2映像と置いてきぼりのストーリーが庵野秀明が早くも老境に差し掛かったことの証明となるのか、それとも単に非モテ監督が幸せになってしまってファンタジーを現実と繋げる必然性を失っただけなのか*3 、今後要観察といったところ。旧作の「壊れる監督」に匹敵する裏切りとナマの主張を期待したいが、逆に更なるパラレル展開でコンテンツとしてのみ無限に生きるエヴァを目撃することにもなりかねない。次回作では庵野監督も50代半ば*4、長年付き合ってきた我々観客もいろいろ覚悟して観る必要がありそう。