エリジウム

うーん、けっこう期待してたんだけど、ちょっと残念な大作SF。昨今のハリウッドのオリジナルSF大作、オブリビオンクラウド・アトラス、そしてもちろんパシフィック・リムもそうなんだけど、とにかく最近良く見る「これ、日本のアニメで見たことあるなー」のある種、もっとも裏目ったパターンかも。
かなり「テーマのためのストーリー」としてご都合主義な設定が随所にされているが、それで描かれる肝心のテーマがまさかの999! スラム化した地球に事実上の棄民として放置された主人公*1、無理やりパスを手に入れ、事実上の不老不死を獲得するために宇宙を目指すが、その宇宙は超管理社会になっていた!許さねぇ!俺がぶっ壊してやる!!
……ってな話を映画版の『銀河鉄道999』や『さよなら銀河鉄道999』で観た(というか混ざっとる)のがたぶん30年以上前のガキの時分の頃のお話。もちろんイマドキなビジュアルと、小ギタナい未来世界と何かというと人間が爆散する唐突なバイオレンス、バカかワルしかいない世界観などのブロムカンプ監督らしさは健在だけど、それでも「観たことがない映画」というところまでは行ってない。
もちろん日本のマンガアニメゲームのリスペクト、というのはわかるし、サイボーグ忍者が桜舞い散る工場でガチンコバトル!とか、前作に続いて監督のゲーマー魂に大いに喝采したいシーンもあるんだけど。
好意的に解釈すれば、H.G.ウェルズが前世紀に警鐘を鳴らし、30年以上前の日本アニメが映像化した「ディストピアな未来」が、現実の資本主義が進みすぎたせいで十分信じられるほどに身近でリアルな存在になってしまった、ということなのだろう。未来を描く古典社会科学SFと、現代を描く社会派SFとが、世紀を超えて、人類の英知などどこ吹く風で結果的に非常に似通ったものになってしまった、という稀有な実例として記憶しておきたい一作。

*1:同じくスペースコロニーが舞台のGガンダムガンダムUCもそういう世界観