美学vs実利「チーム久夛良木」対任天堂の総力戦15年史

けっこう前に読んでたのを感想UPし忘れてた。
希代のビジョナリストにして根っからのエンジニア、久夛良木健の栄光と挫折の一代記。特に、プレステ側から描かれるサターンvsプレイステーションの発売寸前での暗闘は、まだ俺なんかには記憶に新しいところで、相当にスリリングだ。
久夛良木氏のビジョンは常に一貫していて、いわゆる「ムーアの法則」を軸に、未来志向のコンピュータ*1を作り、自社工場で生産、その量産効果と集積率向上によるコストダウン分を主要な利益とする、というもの。いわゆる任天堂*2とはまったく異なるビジネスモデルを志向し、特にvsサターン、vsドリームキャスト戦において最大の成果を上げた。俺みたいな(旧)セガ信者にとっては、セガを完膚なきまでに叩き潰した仇敵、と言えるかもしれない。
その思想=美学とビジネスモデルは「プレイステーション」を冠したすべての製品に徹底され、プレステ、プレステ2の圧倒的勝利の原動力であるとともに、PSPプレステ3の大ブレーキの主因でもあった。つまり、勝ったのも負けたのも同じ理由なのだ。その功績でもって久夛良木氏はソニー本体の次期社長候補にまで祭り上げられ、その責任でもって表舞台から姿を消すことになる。CELL工場の東芝売却をもって、久夛良木劇場(≒「プレイステーション」オリジナルのビジネスモデル)は完全に閉幕した。なんという栄枯盛衰、諸行無常。これがたった15年間の話だ、ってところがスゴイ。テレビゲームのハードウェアビジネスについて書いた本としては、あまりにもSCEのことしか書いてないことを差し引いても、現在のところベストかも。
細かいところ。
タイトルは煽りが入っていて、実際には「対任天堂」部分は大したことない。スーファミの周辺機器だった頃の「プレイステーション」時代を別とすれば、直接任天堂と戦ってはいないし、だいたい、「実利」がどーこーいうほど、この本には任天堂に関する記述はない。ただ、ひたすら「コンピュータ」を目指したSCE、「ゲーム」のためのプラットフォームを模索したセガ、ついに「ユーザー」だけを見ることにした任天堂、という違いはあるのだろう。それぞれの全盛期は、まさに、そのポリシーが花開いたときにあった。陳腐な表現しか出ないが、なんつーか、時代とは、なかなか残酷なものだなぁ、と思う。

*1:ピーキーな性能のN64の特性がPS2に、多数混載したCPUがプログラマを苦しめるSSの特性がPS3に、と考えると感慨深い

*2:任天堂は、安く調達できる「枯れた技術」でハード製造コストを抑制し、主たる利益はソフトから挙げる