さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生

日経ビジネスオンラインで連載してる博覧強記かつ支離滅裂なエッセイで気になっていた、伊東乾のデビュー作(?)。
作者の東大物理学部時代の同級生で地下鉄サリン事件の実行犯・豊田亨とオウムのマインドコントロールとを追うドキュメンタリーだが、正確を期すなら、それらを追う作者自身を描いたドキュメンタリー。とはいえ、明らかに実在してなさげな人物との会話が入ったり、読者じゃなくて検察や豊田被告に向けたメッセージがあったり、はたまた豊田被告自身による校閲が「ここをこう直された」と注釈つきで載っているなど、ドキュメンタリー、という言葉のイメージからかなり逸脱した、そーとーに変わった本だ。
これまで読んできたオウム関係本ではわからなかった、マインドコントロールのメカニズムに肉薄する部分は、科学と芸術の双方に足を突っ込んでいる作者ならではの視点で、先週も書いたが「(脳生理学的に)音情報は内容を理解されるより早く認知される」との指摘などは刺激的。これを応用して、「なぜ名探偵は犯罪の発生を阻止できないのか」「人類の叡智は高まっているのに、なぜ世界にいざこざが絶えないのか」も説明できてしまいそうだ。
この人の文章は全部そうなのだが、この本もやっぱり牽強付会と独善ぽさが目に付く。が、この本は単品のエッセイではなく本人の生い立ちから現在の思想的立ち位置までが(この本を出すためにどれだけ苦労しているか、まで!)ある種の生硬さ、生真面目さ湛えたままぶちまけられてるので、如何にしてこれほど特異な世界観の持ち主(=作者)が誕生したか、の解説にもなっている。だから、音楽や物理学に関わる挿話が作者の手にかかって「創発」や「マインドコントロール」に繋がるのをみても、今回はなんとなく納得させられてしまった。つまり、他人の目には牽強付会としか映らないが、本人の「リアル」では、確かに繋がっているのだろう。真に受けて鵜呑みにするのはたいそう危険だが、この作者独特の世界解釈(=世界観)は、あえて名づけるなら「社会科学系SF的」とでもいえる魅力に満ちている。
反面、頭が良すぎるせいなのか、『約束された場所で』に出てくるスピリチュアル系少女信者の問題などにはまったく目が行き届いてない。理屈をまったく受け付けない、直感だけを頼りに生きてる人間も日本にはたくさんいるのだ*1。そこに作者の主張する失敗学の入る余地は、残念ながら、あまりない。「みんな刹那的になれば凝った犯罪など起きない」と主張した宮台真司の『終わりなき日常を生きろ』のほうが、まだ現実を見ているように思える。

「なぜ起きたのか」を探る『終わりなき日常を生きろ』、「どう見えたのか」を検証する『アンダーグラウンド』『約束された場所で』、そして「どう起こしたのか」を追う本書。
それぞれ立ち位置も違えば読後感も大きく違うが、これらの類似と違い、特に「宗教」と「教義」に関するアンタッチャブルぶりなどから、「オウム的なるなにか」の正体が、やっと見えてきた気がする。つまらない言い方をしてしまえば、つまりは「異なる世界観同士が、利己的な理由からそれぞれ孤立し、ある日壊滅的な出会いを引き起こす」ということなのだろう。議論を避ける日本人の必然。陳腐な言葉だが、これは、きわめて今日的な問題でもある、と思う。

*1:下手すると理屈を求める人間より多い