ダンケルク

前作インターステラーが合わなかったのでノーランはしばらくいいやぁ…とか思ってたが色々あって割引の日に鑑賞。
セリフをまったく使わない冒頭シーンなどはこれまで冗長といえるほどのセリフを積み重ねてきたノーランらしからぬ抑制ぶりで、「おっ、今回はちょっと違うな。新境地か?」と若干居住まいを正したのも事実。
ただ、その抑制もリアリズムも本当に冒頭シーンだけで、話が動き出すと全編カチカチドコドコと煽りに煽るBGMにひたすらうんざりさせられた。映像ではサスペンスを語りきれないと思ったのか、それともリアリズムの映像では観客がどういう感情を持っていいか迷ってしまうとでも思ったのか、いまや「現代の巨匠」であるらしいノーランはバリアフリーにもほどがある感情ガイドラインとしてのサウンドトラックを全編にべったりと貼り付けた。近年、この映画ほど「いいからそのクソやかましい音を止めて映画を観せろ!」と思った作品はない。それほど音に依存した、ある意味説明過多にすぎる演出は「映画に意味を乗せまくる」ノーラン演出の最新進化系なのだろう。
現物での撮影にこだわるノーラン監督らしく映像のリアルさは特筆ものだが、明らかに十字架を意識して撮られたスピットファイアなども含め、全体としては「リアルな作品」ではなく『インセプション』などと同じく「極度に人工的な作品」という印象を持った。その「人工的な感動」こそがフィクションの醍醐味だ、といえるほど人間ができてない自分みたいな人にはオススメしない。

戦争のはらわた

一見ホラー映画のようなタイトルだが、中身はペキンパー印の異色戦争アクションだった。一兵卒でしかないはずの主人公がハードボイルドヒーローで登場人物がみな彼を気にしているところや、彼を中心として舞台やテーマがどんどん変化して行くロードムービー的な構成など、のちに日本で作られたアニメ『装甲騎兵ボトムズ』も思わせる。ことによると元ネタの一つなのかもしれない。
バイオレンスの詩人サム・ペキンパーお得意のスローモーションで描かれる戦場は戦中派ならではの「意味の剥落した単なる暴力」をまざまざと観客に見せつける。最近作の『フューリー』や『ダンケルク』に見られる、幾重にも重ねられた意味を読み取らせる戦争映画とは一線を画した「肌感覚の戦場のリアル」を感じる。そして描かれるテーマはいまやすっかり見られなくなった「魂の自由」だ。ドイツもソビエトも関係ない、戦争も平和も好きにしろ、俺は俺の生きたいように生き、死ぬべき場所で死ぬのだ、という実にハードボイルドかつ個人主義的なテーマが、戦場でひとり哄笑するジェームズ・コバーンから伝わってくる。
要素が多く語りきれていない消化不良感は随所にあるものの、それも含めて戦争のままならなさを笑い飛ばす豪快さが本作を傑作たらしめている。観れ!

太陽の王子 ホルスの大冒険

高畑、宮崎コンビの記念すべき最初の作品であり、大塚康生小田部羊一森康二など、のちのアニメレジェンドがこぞって参加した東映長編を代表する一作。高畑勲の初監督作でもある。
基本ストーリーは当時の東映動画らしい名作路線なのだが、のちの高畑作品と同じく、労働の喜びを謳い、庶民の団結を訴えるテーマは、やはり東映動画の労組幹部であった高畑ならでは、という感じはする。このテーマは白土三平カムイ伝』と共通しており、主人公ホルスの縄で斧を振り回すダイナミックなアクションも白土の『ワタリ』を彷彿とさせ、全体に白土三平からの大きな影響を感じる作品だ。ある意味、「漫画」が白土三平の登場によって「劇画」になったように、白土の影響によって「漫画映画」も「アニメ」へと変化させられた、その過渡期にある作品だったのかもしれない。大雑把にいえば60年代後半の「安保と全共闘の時代」を色濃く刻印したアニメであり、そのすぐ後に来る『宇宙戦艦ヤマト』や松本零士出崎統などの「アニメブーム」でかき消され*1、のちに高畑自身が『おもひでぽろぽろ』等で再興させた「イデオロギー色の強いアニメ」の最初の一作ともいえる。
大判の背景を縦横に使ったカメラワークや枚数をふんだんに使った巨大魚との格闘、若き宮崎駿が手がけ、のちになかむらたかしを岩石アニメーターに開眼させた岩男のアクション、実に高畑的な音楽シーンなど見どころも目白押しだが、語りたいことが終わった瞬間にカットが切れるなど、全体として余裕や落ち着きがない演出には窮屈さが目立つ。のちの高畑作品『アルプスの少女ハイジ』や『母をたずねて三千里』、さらに時代が下った『火垂るの墓』『かぐや姫の物語』等のどっしりした演出は一朝一夕で獲得したものではない、ということがよくわかる。
映画としての完成度はそれほど高くはないが、当時の高畑、大塚、宮崎らの創作への剥き出しのエネルギーに痺れるアニメ。

余談だが、川尻善昭監督の『獣兵衛忍風帖』で主人公獣兵衛が崖の上に投げた刀を敵が掴んでいた、というシーンは本作のホルスとグルンワルドのシーンのオマージュだったことを発見。アニメ業界における影響の大きさを改めて認識させられた。

*1:この70年代に入ると白土三平ブームも急速に萎み、本作のスタッフでもあった林静一がガロの看板作家となったりしている