パシフィック・リム

世界中のオッサンを子供に変えた、コナンくんもびっくりの脅威の若返りムービー。ご他聞にもれず自分も開始5分ですっかり童心に帰っておりました。
もうワンダバの満漢全席としかいいようのない長大な発進シーケンスを物語背景を説明しつつこなし、太平洋に無事到着した巨大ロボが腰の入った重いパンチで怪獣をぶん殴る!ブラボーッ!ありがとう、ありがとうデル・トロ!正直もうこのシーンまででこの映画モトとりました。事実上のクライマックスである香港戦のマッチメイクまで、もうこの映画があればもう他のロボ映画は要らないかも、とさえ思える素晴らしすぎるデキ。
冷静に考えてみるとこの作品、基本コンセプトがエヴァと一緒の「ウルトラマンの替わりに巨大ロボット」なのだが、思い入れの方向性が庵野監督とデル・トロ監督でちょっと違っていて、というか本作におけるデル・トロ監督の向いてる方向は、どうも庵野監督より今川監督に近いんじゃないかと思う。
本作のKAIJUは(怪獣オタクである監督の)純粋に画ヅラ的な事情により、必ず海から出現する。そのための怪獣発生源の設定だが、(本編では)なぜ夜にばかり出現するのか?には設定がない。が、これも鉄人28号ファンの監督の純っ粋に画ヅラ的な事情なのだろう。「ビルの街にガオー」「夜のハイウェイにガオー」なのだ。そしてなぜか舞台は香港へ。カンフーロボやら戦車ロボやらの国辱ロボが防戦、我らのアメフトロボはおあずけです、ってこれまんまGガンすぎんだろ!と思う間もなく敵怪獣が脈絡もなく電子機器を使用不能に!だが大丈夫、ジプシー・デンジャーは原子力で動いているのでアンチシズマフィールドの中でも動けるのだ!!砕け、ジャイアントロボ!!!(違います)
このあたりの重量感溢れるロボバトル演出はまさにOVAジャイアントロボ』譲りで、その斬新なアイディアに溢れたカットの数々は、もうデル・トロ監督に今川監督が憑依したんじゃないかとすら思う。
とそのバカっぽさと豪快さの反面、デル・トロ監督「らしさ」は脚本においてにじみ出ていた。こんなウェルメイドに徹したかに見える本作でさえ、やっぱりアノ『パンズ・ラビリンス』を撮っただけのことはある、と思わせる翳りが作中にチラチラする。
以下ネタバレ。
司令官の病が、(たぶんジプシー・デンジャーの前世代機による)放射線被爆によるものと判明するシーン。これをご丁寧にも「東京で」被爆した、とするあたりはもちろん福島第一原発の事故を受けてのものだろう。『ジャイアントロボ』では(時期的なものもあり)結果的にそれほど語られなかった、原子力の負の面をキッチリ、しかも善の面で主人公たちが活躍できたことの合せ鏡として語られたりするあたり。「ドリフト」は両者の絆を深くする反面、失ったときの喪失感がより巨大なるという鬼設定。次代を担うはずの息子が死んで親父だけが生き残る、深い絶望に彩られた皮肉*1。なんだかんだで、この作品には死と別離のトーンが全編を覆っている。
また、クライマックスはデル・トロのダークな面とは別に、(実にオタクらしい)生真面目さも強く感じた。本作のラストは想像するに3パターン*2(内容はコメントで)くらい想定されてて、それによってクライマックスの納得度や悲劇性が変わってくるのだが、最後の最後、主人公たちがキスするか、しないか?というところで焦らしに焦らした挙句…結局、キスしないのだ!*3これは、彼らが一度ならずも失い、ついに新たに獲得した、重く確かな「信頼」であって、断じてそのへんの映画と同じ、生まれちゃあ消える「愛」などではない!ダメ、絶対ッ!!というデル・トロの叫びなんじゃないかと思う。いいじゃん、ウェルメイドにキスしてエンドマークにしちゃえばいいじゃん*4、と思う自分なんかはまだまだヌルイな、とこんな子供が考えたみたいな映画で思い知らされた次第。大スクリーン栄えする上に内容も深入りできる*5本作、すべてのむかし子供だったオッサン必見!

*1:あのトラウマ映画『ミスト』を思い出した

*2:その1.完成した映画と同じ その2.ヒロインは助かるがヒーローは死ぬ その3.ヒーローもヒロインも普通に死ぬ

*3:たぶん、キスするバージョンもどこかにあるんだとは思う

*4:こないだ再見したアニメ『REDLINE』がまさにそんなベタベタな映画だった

*5:ただし、今川作品同様に細部はけっこうデタラメでムチャクチャである