月に囚われた男

いい意味で時代錯誤な、古典SFの風合いとスピリットを持つ一人芝居サスペンス。
アスタウンディングの編集長として、ハインラインアシモフ、ヴォクトなんかを輩出した名編集者ジョン・W・キャンベルが自分で書いたSFに『月は地獄だ!』という傑作があるが、「地獄」というものが仏教における無間の業苦の象徴である、という意味で、「月は地獄だ!」のタイトルは本作にこそよりふさわしい。
そして、いかにもHALっぽいAIの登場など『2001年』を強く意識したセットとカットと脚本、『シャイニング』ばりの窒息しそうな神経症的閉鎖空間。キューブリックタッチの演出が、「でも、これは2010年の映画だ」という疑念を観客に抱かせ、しかもその疑念がちゃんとイマドキのSFサスペンスとして内容に昇華されていく手腕、日系企業がクローンを使い捨てしていた『エイリアン』への目配せ*1や、他のSF映画へのオマージュ。実に手馴れている。
ギャラクシー・クエスト』もそうだったが、サム・ロックウェルという人は本当にSFが好きらしい。『ガタカ』にも似た静謐な演出で描かれる本作に、単身赴任で頭のネジが飛びつつある「普通の人」を登場させるミスマッチは、ロックウェルの引き出しの多い演技のおかげで、これまた本作のパラノイアックな魅力に昇華されている。上手い。
ラストに至って、この物語は突如SF映画から社会派映画へと変貌するのだが、これもまた、「ロボット」という言葉を生んだチャペック、ホワイトカラーとブルーカラーの末路をカリカチュアした『タイム・マシン』のウェルズを思わせ、その意味でも、「古典」SFの持つ文明批評精神を正しく受け継いだ純・正統派のSF映画といえる。SF暦の長い人には特にオススメしたい。

*1:ネタバレ:そして本作でソレを行うのは韓国系企業。サムソンやLGの躍進に伴うリアル世界での存在感を伺わせる