パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の戦い

また伝記。
自分は『明治新聞王奇譚』(http://hw001.wh.qit.ne.jp/tzk00/)の企画を練っていた頃に堺利彦を知った。「萬朝報」看板記者の一人で、小説家、翻訳家、エッセイストとして優れた才能を持っていた堺は、「萬朝報」社長・黒岩涙香の興した「理想団」にも参加し、同僚の幸徳秋水とともに、急速に日本の初期社会主義運動の中心的存在となっていく。
日露戦争前夜の「萬朝報」の転向で社を辞した堺と幸徳は「平民新聞」を発行、非戦と社会主義を訴えたが相次ぐ発禁で「平民社」は消滅、彼らの思想的リーダーだった幸徳を含む多くの社会主義者大逆事件の陰謀により刑台の露と消えたのだった…。

…と、いうところまでが本書のイントロ。
本書の主題は、大逆事件を生き延びた堺が興した「売文社」についてだ。
売文社は堺がパン(生活)のために文(あらゆる文章)を売る、という決意を持ってつけた社名で、多様な文才を持った堺が、彼を慕う若き社会主義者たちとともに、社会主義「冬の時代」を生き抜くための手段だった。
同世代人の日記からヨコジュンまで凄まじい量の「参考文献」に裏打ちされ、売文社について多彩なエピソードが語られるが、特に興味を惹かれたのは社会主義者たちの内部分裂についての部分。マルキストを自称した堺と、洋行後に急速にアナキスト化した幸徳秋水、幸徳と同じくカリスマ化したアナキスト大杉栄との葛藤、断絶は、のちの連合赤軍を思わせる。または、イデオロギーに関係なく、世間から隔絶されカルト化したコミュニティ共通の悲劇なのだろう、とも感じた。
また、実質的に「売文社」にとどめを刺した高畠素之との軋轢は、高畠が国家社会主義としての理想をロシア革命*1に見いだした*2ために起きたもので、なるほど、「20世紀の怪物」と呼ばれた共産主義と日本は、思った以上に密接で、複雑な関係だったのだ、と認識を改めさせられた。

前回の自作ゲームの関係から手に取った本書だが、次企画のテーマである資本主義についても、歴史的な視点が得られる本だった。売文社のシンボルマークでもある「パンとペン」は社会主義を主張しつつも資本主義に生きざるを得ない堺の自虐的ユーモアを図案化したもので、いまの自分にとって、とても身近なものに思える。

著者の黒岩比佐子氏は本書の執筆中に膵臓ガンを宣告され、本書出版直後に亡くなられている。そのせいか、特に大逆事件直後の社会主義者たちの生き様の描写には力がある。死を目前にした彼らの焦り、自暴自棄、そして(『殉死』*3と同様の)自らの死を前提としたテロリズム。死を手元に携えた者だけが持つヒリヒリするような「行動」への憧憬は、スティーブ・ジョブズを例に出すまでもなく、人が神に肉薄する瞬間なのかもしれないと思った。合掌。

*1:もちろんロシア革命の遠因は日露戦争の敗北にある

*2:のちにスターリンによって完成されたソヴィエト連邦を考えれば、高畠の国家社会主義論は歴史的に間違いとも言い難いが、キリスト者内村鑑三に私淑していた人道主義者の堺には到底受け入れられなかっただろう

*3:http://d.hatena.ne.jp/SiFi-TZK/20120119#p1