ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ

<サーカス>*1の2重スパイ疑惑に、引退した老スパイ、ジョージ・スマイリーが<もぐら>探しに狩り出され……というお話。

いや〜、ビックリするほどアクションのない話で驚いた。基本的にスマイリーが過去の帳簿をひたすら調べるだけの話、ともいえる。
しかし、それだけの話を読ませる筆力が素晴らしい。一つ一つの手がかりを慎重に入手し、丁寧に検証し、仮説を組み立てる。この過程が執拗に描写され、組織の論理と個人の倫理との葛藤が、じわりじわりと暴かれていく。この空気は、実際の英国スパイ組織(こちらはMI5)の内幕を暴露した『スパイキャッチャー』の持つそれと同じだ。なるほど、これがリアリズムというものか、と感心した。

ちなみに、『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』は1974年の出版で、『スパイキャッチャー』は1987年。どちらも、1963年のキム・フィルビー事件が大きく影を落としているのが共通だが、それ以上に、「職業としてのスパイ」が大きくクローズアップされている点が見逃せない。人は、自分の年金をフイにしたくない、というだけの理由で、国家を危険にさらす2重スパイの追求をためらうものなのだ。

自分とは縁のない世界と思われた国際諜報の世界も、実は社内政治にあけくれるサラリーマンの世界とそうは変わらない。だからこそ、この難渋で、爽快感のカケラもない小説が世界中で読まれるのだろう。
粘り強さと冷静さだけを武器にしたジョージ・スマイリーは、「困難な状況に立ち向かうヒーロー」が、若くもマッチョでもある必要はない、と気づかせてくれる。たしかにどえらい名作だった。

*1:MI6の隠語。オフィスがケンブリッジ・サーカスにあることから