狩猟民族のゲームと農耕民族のゲーム

むかーしCRPG分析をしてた頃の仮説。いまとなっては、もはや説明の必要すらないかもしれない。
狩猟民族にとって重要なスキルは、獲物がどこにいるかを発見する能力と、その獲物を倒す/捕獲する能力である。
農耕民族にとって重要なスキルは、毎日のルーチンワークを律儀にこなす能力(?)、収穫物を保存/加工する能力である。
ゲームで考える。
アメリカで生まれ、現在代表的「洋ゲー」であるところのFPSは、どうみても前者。
日本で生まれ、現在代表的「和ゲー」であるところの恋愛SLGは、どうみても後者。
日本であれほど売れてるモンハンPが狩猟大国アメリカで売れてないのは、テーマが「狩猟」にも関わらず、「発見」がすっぽ抜け、「加工」に重きが置かれていることと、無縁ではあるまい。また、多様な価値観がひしめく欧州はともかく、アメリカは「個人が努力して栄光をつかむ」サクセスストーリーがいまだ信じられている*1個人主義の国だ。みんなで仲良く敵を倒しましょう、成果も均等に配分しましょう、とか言われても、ピンと来ないのかもしれない。
マンガで考えてもいいかもしれない。
いわゆるアメコミは「発見」の専門家である探偵のマンガ=Detective Comics(現在のDCコミックの由来)だったが、なんか知らんが怪しげなカッコをして犯人を倒す/捕獲までするようになった。
対する農耕は、日本の漫画といわゆる2次創作の関係だろう。作家がルーチンを提供し、読者/2次創作者は「保存しつつ加工」する。ちゃんと保存しなけりゃ総スカンだし、加工が下手なら見向きもされない。
さらに発展させる。
FPSのプレイ毎に狩猟スキルは磨かれ、それが日々の生活で発揮される。ビジネスの場でも、問題の発見・解決能力が問われる*2
恋愛SLGのプレイ毎に農耕スキルは磨かれ、それが日々の生活で発揮される。ビジネスの場でも、ルーチンワークが、また、絶え間ない加工行為である「カイゼン」が求められる。
日米のゲームの違いは、コンピュータサイエンスvs玩具という見方もできるが、なんかもっと根が深い、そもそもの文化的なベースの違いに由来してるような、してないような。

とりあえず、日本のゲーム業界はそーとーヤバイ、ってことだけは今日理解した。

*1:かどうか、実は現時点では確信がない

*2:ホワイトカラーの場合