ライバル日本史2

NHKの番組を書籍化したものだそうですが。目当てはもちろん「明治マスコミ戦争 黒岩涙香宮武外骨」(平成6年5月26日放送分)。
新聞人としての涙香には、3人のライバルがいたと考えている。
一人は大阪朝日新聞の村山龍平。彼の経営手腕と人を観る目の確かさとに、涙香は学ぶところが大きかったのではないか。もちろん、学びつつも、独創でもって越えてやろう、とのライバル意識は尚更だ。
二人目は、二六新報の秋山定輔。こちらは涙香のエピゴーネンではあるが、涙香のような理想を持たない分だけ、より過激でセンセーショナルな紙面作りを行い、本家を越える人気を博した。涙香、秋山ともに競争心を剥き出しにしていただろうが、涙香に「まむし」の異名を献上した、ストレートな秋山に比べ、部数拡大は目的ではなく手段と捉えていた涙香は、同じ土俵で戦うこと自体を苦々しく思っていたのではないだろうか。
で、三人目がこの本でも出てくる宮武外骨。外骨の手法は言ってみればパイソン流で、反権力というよりは、誰に対しても平等に徹底してシャレのめす、アナキズムに近い思想を感じる*1。滑稽新聞を観てみると、記事のかわりに空欄があって、そこに政府批判を好きに書いてくださいとか、ベタ黒に「濃霧の中入港するロシア艦」のキャプションをつけたりとか、ヌードですが猥褻図画に問われないですよとパズルのピース化したりとか、パイソンが新聞を作ったらこうなるんだろうな、みたいなブラックかつ人を食った記事がゾロゾロと。スキャンダル・キャンペーンで売り出し、社会改良を謳った萬朝報にくらべると、面白いが世論は作らないタイプの紙面作りといえる。
この本を読むと、「新聞を啓蒙の手段と捉える涙香vs新聞を自己表現の手段とする外骨」との図式が見て取れる。どっちも手段なのが、目的である村山や秋山と比べて面白いが、涙香にとって外骨は、新聞を手にはしゃぎ回る狂人に過ぎず、泥試合も自己の正当性を訴えるために受けて立ったと思える。
対して、外骨にとって涙香は、部数獲得のために自説をも売る卑しき新聞屋に過ぎなかったろう。その新聞屋が賢しげに天下国家を論じるのを、ある意味真性のアナキストたる外骨*2はチクリとやらずにはおられず、真面目な涙香が受けて立ったとみるや、遠慮なく噛付いていったのではないだろうか。
関東大震災以前に没した涙香のことを、第二次大戦後まで生きた晩年の外骨がどう評していたのか、ちょっと気になってきた。

*1:外骨が平民新聞に接近したのも、社会主義に共感したと言うより、アナキスト化の進む秋水らに共感した、というのがホントのところではないか

*2:なんつっても自分しか信じてないわけだから