しまった

こんなのやってたんだ(id:hiyokoyaさんにて)。

RGN:第一回「死の表現をめぐって」
http://www.glocom.ac.jp/j/labs/azuma/project/game/

もとを辿れば大塚英志が言い出しっぺ、というのはなんだか気に入らないが、<TVゲーム>というメディアの立ち位置に新たな視点をもたらす、興味深い活動だと思う。
ただ、ゲームを作ってる現場との恐ろしいまでの乖離が気になる。最近は特に、ストーリードリブン型ゲーム(と勝手に命名)の売上が芳しくないこともあって、ゲームは「触って楽しい」だけありゃいい!あとはオマケ! と、こないだまでお前オマケに食わせてもらってたやん! と突っ込みたくなるよーな原点回帰っぷりが猛威を振るっている。
結局、「どう作ったら面白い(または刺激的)か」しか考えとらん人たちに

いかにしてフィクションの中で描かれる死が、現実の生身の身体の死に近いリアリティを持って描かれうるか

を問うても話がかみ合わない、と思う。実際、「いや、ストーリーはシナリオライターが考えてるんでそっちに聞いて」みたいなことを言うディレクターなんてザラ、というかそれが普通みたいな業界だし。hiyokoyaさんの挙げている『エースコンバット』にしても外注ライターだからその点は同じだろう。*1例外は自らシナリオライティングとディレクションを行う小島秀夫松野泰己くらいではなかろうか。
で。
個人的には色々思うことがあるのでそのうちなんか書くかも(と、言って書かなかったことは数知れず)。

*1:どこかで読んだ、FFの野島氏と植松氏が「人の死を扱いたい」「人の死なないゲームがいい」という正反対な発言をしていた対談が思い出される