ゲームシステムと快感の量、質

ゲームの面白さを「快感の量」(スカラー量)の大小と考えるなら、コントローラの入力を快感で出力するシステムがゲームシステムと言える。
んではコントローラを触らなくてはゲームで快感は得られないのか、と言うとそーでもない。ムービーを見ているだけで感動する(これも快感の一種)ことも十分ありえる。
ゲームシステム限定であっても、同じ入力でより大きな快感が得られるほうがより優れていることになる。スターフォースより怒首領蜂ゼルダより三国無双である。
量以外に質の問題もある。例えば同じ操作方法、同じルールのゲームでも、『ジオグラフシール』と『ジャンピングフラッシュ』では得られる快感の種類はかなり違う。重力加速度等のパラメータやレベルデザインの変化が、楽しませ方や、快感の質を劇的に変えてしまう。質が変われば、味の変わった食い物屋のように、とりあえず試食に来る客もいる。
悪い例だと近年の『デビルメイクライ』とその続編、これなんかは、同じ操作同じ素材同じルールでも快感の質を変えようとし、結局、量の合計で前作を遥かに下回る快感しか提供できなかった。
日本人は、ある入力の範囲で最大のアウトプットを出すゲームシステムを作るのが得意だ。それはパクリでもあるし、改良でもあるのだが、少なくともそれでは劇的なアウトプットの質的変化は望めない。いまTVゲームは飽食の時代だ。作り手も受け手も、激辛(激甘でもいいが)には飽きている。
NDSはインプットを変えることでアウトプットの質的変化を目指すハードだと思うが、「快感の量」の部分でユーザーを見誤る可能性がある。と言っても最近は快感のピークを求めるのではなく、アベレージを求めるユーザーが多いようだから、まったくの杞憂かもしれないが。