エンダーのゲーム

オーソン・スコット・カードの処女作にして、たぶん本邦でもっとも有名なカード作品でもある「エンダーのゲーム」の映画化。
カード本人もこの作品にはたいそう思い入れがあるようで、最初の短編をずいぶん経ってから長編化したのみならずシリーズ化、そして今回の映画版でも、プロデューサーとして製作陣に名を連ねている。思えば、この企画も実現までが長かった。
最初に映画化の話があるのを知ったのは前世紀の話。『マトリックス』を引っさげてウォシャウスキー兄弟が来日した際、今はなきSFオンラインのインタビューで、当時まだ男性だった頃のラリー・ウォシャウスキーがポロリとこぼしたのが、たぶん自分以外でも日本の読者が目にした最初の情報だと思う。以下は、インターネット・アーカイブから。

あと、オースン・スコット・カードの『エンダーのゲーム』もハマった。そうそう『エンダー』の映画化企画がハリウッドを回っているんだ。誰が監督するのかなあ。

SFオンライン31号(アーカイブ)「SFファンのための『マトリックス』インタビュー」

その後、『U・ボート』や『アウトブレイク』、『トロイ』のウォルフガング・ペーターゼンの次回作とアナウンスされていた*1が、いつまで経っても続報がない。やっぱりペーターゼンの前作『ポセイドン』の大コケが響いたのか……、と思ったことすら忘れていた2013年に突如、それまでのワーナーではなくディズニーからの公開がアナウンスされ、我々待ちくたびれた読者は疑心暗鬼と漠然とした期待に打ち震えていたわけですが。

結論から言うと、その心配は杞憂だった。手放しで絶賛はできないにしても、近年ディズニーが同じくSF界のマスターピースを映画化した『ジョン・カーター』と非常に近い感想を持った。「よくぞ原作に忠実に作ってくれた!」という感謝と、「でも、それにしても映像化が遅すぎたね……」という無念とが、ないまぜになった気持ち。
エンダーやビーンが生き生きと活躍する様、原作で特徴的だったバトルルームの無重力戦闘描写の数々、ハリウッド大作的な「勝って終わり」を排したエンディング。どれも、原作ファンとして楽しめた。そしてどうしても、つい先日観た『ゼロ・グラビティ』の圧倒的に強く、シンプルな作りと比べてしまい、あぁ、よりによってこのタイミングで「無重力」を大々的にフィーチャーするのはなんという罰ゲームか、と思ってしまった。
今回、有休とって自分以上に原作ファンのかみさんと見に行ったのだが、とにかくこの作品、上映が少ない。早々に打ち切られたところもあるし、残ったところも小さいスクリーンで、一日2,3回、下手すると一回しか上映されなかったりする。まだ上映始まって一ヶ月経ってないのにこの仕打ち。

ジョン・カーター』(火星シリーズ)が、『フラッシュ・ゴードン』や『スター・ウォーズ』『アバター』をはじめとしたスペオペ映画でさんざんパクられ、陳腐化したビジュアルを晒さなければならなかったのと同様、本作も、なんか現代的な冷めた少年少女がバトルスクールに入れられ世界の命運を背負わされるなど、すでに既視感バリバリのお話を、『ゼロ・グラビティ』よりかなりヌルい宇宙描写で見せられてしまう。この切なさ。やはり、遅すぎたのだ……。

ところでこの作品、世界設定やディティールを脇に置くと、びっくりするほど「ハリー・ポッター」とよく似ている。少年少女による学園モノで、いじめられっ子だった主人公は逆襲するし、3次元空間で団体戦するし、そして世界の命運は幼い主人公の双肩に委ねられる。類型的な物語だと言ってしまえがその通りだが、こういうジュブナイルの王道を衒いなく突っ走れるあたりが、モルモン教徒で過剰ともいえる倫理観を自作に持ち込むカードの強み*2と一般性の源なのだ、と思い知った次第。いろいろ思うところはあるけど、動くエンダーやビーンが観られる、ってだけでも原作ファンにはお勧め。

*1:悲しいことに、日本版wikipediaの彼の項にはまだそう書かれている

*2:最近日本でも顕著な、理想化されたキャラクターの脱臭された物語