戦争の映画史 恐怖と快楽のフィルム学

二冊目。こちらは仏文学者、映画評論家の大学教授の書いた本。上記の本と違い、当事者の書いたものではないので、こちらは「かくあるべし」といった主義主張は希薄。
映画評論家の筆だけあってこちらは作品論がメインで、意外と個別の「戦争」そのものとの関係は薄く、また、作品が世論に対してどう影響を与えたか、という部分はあくまで限定的に語られている。『メディアは戦争に〜』が直接間接に世論を誘導し、世論に影響される関係を描いたのに比べ、「映画内で語られる戦争」に筆者の興味は向いているようだ。
本書の面白いのは、それが逆に「映画とはそもそも」といった「映画そのもの」への分析に向かうくだりで、特に、「戦争映画は見世物映画の文脈でつねに受容され、消費されてきた」という指摘は面白い。そこで引用される、柳下毅一郎『興行師たちの映画史』の一節など、まさに、いまだ黎明期にあるテレビゲーム業界を言い表しているかのようで興味深い*1

「草創期の映画は、観客の好奇心をくすぐるような、物珍しい異国の風景、歴史的な大事件、セックスや暴力やフリークの映像などを提供してきた」
「知らない世界、禁じられたものへの誘惑。それが見世物商売である」

映画と観客の共犯関係を、これらの言葉は暴いている。とても刺激的な見世物として戦争、そして戦争映画。
戦争を他人事として消費し、暴力装置としての国家を支える観客と、その暴力装置の構成物として敵の標的となり犠牲となる観客。
この奇妙な関係性が、無差別爆撃以降の世界の戦争であり、その戦争システムに組み込まれた「戦争映画」の現状なのだ、というビジョンはとても刺激的だった。本としてのまとまりはあまりない(個別の作品論が多いため)が、特に「戦争ゲーム」としてのFPSについてなどを考えたい人にはかなりオススメ。

*1:自分が『アバター』に関してまさに思ったことがまったく同じなのも面白い。感想→http://d.hatena.ne.jp/SiFi-TZK/20100115#p1