ゾディアック

うおー、これはスゴイ。これ、映画館で観たかったなぁ、『ファイト・クラブ』とは別ベクトルで、これもデビッド・フィンチャーの代表作になると思う。
ゾディアック事件とその周辺を大胆な時系列の圧縮で俯瞰させ、劇中にまで『ダーティ・ハリー』が出てくるなど、各方面に周到に目配せしたディティールを積み重ねることで、フィンチャーは「ゾディアックの時代」を濃厚にフィルムに焼き付けた。特に中盤あたりまでの「殺人鬼のある生活」の描写が痺れる。こないだ観た『ダーティ・ハリー』の真逆な、この非・劇的な日常への埋没っぷりは刺激的。これこそ、現代の映画を観る快感だろう。

また、『ダークナイト』の特大ヒットの理由が、『ゾディアック』を観ることで少しわかってきた。少なくとも、『ゾディアック』の「"殺人のある日常"が、個人をむしばんでいく」世界観は『ダークナイト』のそれとかなり近く、フィンチャーの歩いた同じレールを、クリストファー・ノーランも歩いている。
事件そのものが主役の『ゾディアック』は、犯人がえらく貧相である意味不在でもあるが、『ダークナイト』のジョーカーは一人で世界を変える力を行使するカリスマだから、『ゾディアック』よりずいぶんわかりやすくなってる。逆に、刑事も犯人も等身大なのに、現代まで20年くらい地続きにする『ゾディアック』の「世界の覆い方」は本当にすごい。連続殺人が現代まで地続きの「世界(観)」を形作る、ってのは『フロム・ヘル』の逆パターンか。

しかしこの映画、構成としてはどうなんだ? 明らかに2本分だよなぁ。クソ長いし。このテーマとオチだと、前後編商法はできないんだろうけど。おなじ「現代にぶん投げ」でも、『アメリカン・ギャングスター』と異なり、現代につながる意味が元からある映画。唐突な暴力描写とオフビートな狂気の持ち味はそのままに、「世界」と「人間」に肉薄するデビッド・フィンチャーの今後からちょっと目が離せなくなった。