河童のクゥと夏休み

この作品、ある意味『ハッピーフィート』と同じタイプの映画だ。定番の設定からスタートすること、多くのテーマを内包していること、(そのせいで)作品紹介で想像される内容からけっこうかけ離れていること、そして、社会派のアニメであること。見た目の地味さに似合わぬ、相当骨のある映画だ。
少年が拾ってくる異生物。育まれる友情。そして、それを引き裂く大人の理屈。この作品が『E.T.』や『グレムリン』、はたまた『ジュブナイル』あたりとの決定的な違いは、そのリアリズムにある。
特に家族や、クラスメートといったコミュニティの微妙な距離感、その危ういバランス感覚が素晴らしく、高畑勲が『ホーホケキョ となりの山田くん』でしくじった、「現代のリアリズム」を獲得している。しかも『時をかける少女』のように脱臭されることもなく、いじめる側の主人公がいじめられる側に回り、そこからは簡単に這い上がれないなど、まったく綺麗事になってないのがいい。テレ朝出資の映画にもかかわらず、ストレートなメディア批判が画面に横溢しているところを含め、現代の社会派映画としてけっこう重たいところを衝いている。
妖怪といえども人間の欲に翻弄されているところなど、『ポニョ』のよーな抜けたファンタジーとは明らかにターゲットが違う*1。めっちゃ大人向け。
惜しむらくは、ちょっとテーマを欲張りすぎたせいで上映時間が長い上、終盤がまとまらず冗長なこと。ここは、同じくテーマを欲張った『ハッピーフィート』が強引な演出で(力押しで)たたみ掛けたのに対し、最後まで地味な演出に徹した『クゥ』の弱点だろう。クレしんでは、コンビを組んでいた湯浅政明らのすさまじい「表現」のパワーで押し切っていた*2が、今回は表現がストーリーを凌駕することは最後までなかったように思う。
今後も表現を抑えてテーマを絞り込むのか、それともアニメの魔力を解放してごった煮テーマを押し切るのか。「一般性」という意味で、庵野より細田より遥かに「ポスト宮崎」に近い位置にいる原監督の、今後の方向性が気になる。

*1:宮崎ならぬ高畑は『平成狸合戦ぽんぽこ』で狸のレジスタンスを描いているが、これはやはり全共闘世代ならでは、な気がする

*2:この意味では、原+湯浅コンビは高畑+宮崎コンビとよく似ている