コンテンツ産業としての、映画とテレビとテレビゲームについて

いっつも言ってることだが、TVゲームにはカンヌ狙いや単館ロングラン狙いがない。映画はあるのにおかしい! と言ってはいたが、ゲームはそもそも映画じゃなくてTVと同じ扱いなのでは、という気がしてきた。
TVは公共性が高く、巨額の資金が動く場であり、一過性の娯楽である。視聴者は番組が面白いかそうでないかの判断をするが、視聴率との関係は薄く、番組の成否は視聴率で決まる。
TVにカンヌ(他、芸術性を競う映画祭)はないし、単館(一つのチャンネル)であっても四六時中違う番組を流さなければならない。面白い番組を作る人はいるし、それを待ち望んでいる視聴者もいるが、それでは視聴率4冠は望めない。
結果、どこも日テレを目指すことになる。身近さ、わかりやすさ、安心感を求めるいまの番組作りが、卑俗化、記号化、パターン化に陥っていないかどうか、TV評論家はいない(いや、もしかしたらいるのかも)から、自分の眼で見て判断するしかない。
ゲームの世界で考えてみる。会社が望むのは売上高だ。そして当たり前のように、版権モノ、記号化、続編頼りに陥っている。そして残念ながら、ユーザーはチャンネルを変えるようにはゲームを買いかえられず、自分の眼で判断することが出来ない。
ではどうするか?
ひとつは、レンタルビデオ方式。これなら自分の眼で決められる。アメリカではもう当たり前だが、なぜか日本ではいつまで経っても解禁される気配がない。これがゲームの日本市場停滞の最大の理由ではないか。
ふたつは、ケーブルテレビ方式だろう。MMORPGのビジネスモデルにも近いが、特定ジャンルのソフトを加入期間中の一定期間貸与する(または一定期間ごとにソフトを送りつける)ようにする。
みっつめは、インディペンデント作品。客の取れるビッグネームを連れてきて、個性の強い作品を作らせるかわりに、予算は押さえる。流通コストが最大の敵だが、たとえばXboxLiveのようなシステムなら今すぐにでも可能だろう。それほどのビッグネームがいるとしての話だが。
なんかどれもパッとしないな。まずはオモチャ扱いから脱却せんと。