任天堂方式

任天堂ゲームデザインについて。任天堂のゲームの特徴を、「敷居の低さ」「デバイスの活用」「優れたバランス」の3点から考えてみる。
まず「敷居の低さ」は、難易度設定もさることながら、直感的ゲームデザインの産物と言える。昨日のワンクッション論を引っ張るなら、クッションを置かないゲームデザインを基本としているようだ。
次、「デバイスの活用」は、直感的ゲームデザインのハードメーカー的応用と言える。自前で製造するだけでなく、必要なら新たなデバイスを生み出すことができる利点をフルに生かしたフットワークの軽さが、マイク入力や立体視、携帯機、アナログジョイスティック、振動、ペン入力を生んだといえる。余談だが、同じ利点を持っていたはずのライバルS社は、コントローラの企画部門とゲームの企画部門がまったく連動できておらず、ただ任天堂のあと追いに終始することになった。
「優れたバランス」は往年の任天堂帝国の遺産だろう。ソフトメーカーと違い、16ビット機時代までの任天堂は、サードパーティーからのロイヤリティ収入だけで膨大な利益を産むことが出来た。任天堂はその利益を「膨大な試行錯誤の繰り返しによるクォリティアップ」に注ぎ込み、それは(皮肉にも)32ビット機時代において劇的な品質格差を生み、ここに「ソフトメーカー任天堂」神話が生まれた、と見る。
現在でも任天堂スピリッツは生きている。
「敷居の低さ」はカービィに、カービィシリーズが続くとスタフィーに受け継がれている。ただし、最大ヒット作のポケモンはそうではなく、この点、最近の任天堂はややぐらついている感がある。
「デバイスの活用」はNDSを生んだが、その真価はこれからだろう。ペン入力によるインプット、ダブルスクリーンによるアウトプットの差別化は新しいゲームを生み出すだろうが、それが市場に結びつくかどうかはバーチャルボーイの例もあり、予断を許さない。
いま一番揺らいでいるのは「優れたバランス」だろう。知っての通り近年の大ボリューム競争では任天堂的方法論は(いかに任天堂といえども)カネがかかりすぎ、現実的でなくなってきている。大ボリューム競争から降りることを早々に宣言した任天堂だが、それを実行し、クォリティに対するユーザーの絶対的な信頼をいつまで維持できるかが今後の焦点だろう。