快感の時系列

昨日の続き。
ゲームシステムのアウトプットたる快感の波を時系列で表にして(ベクトル量)みると、最近のゲームほど底上げがされている。「常にそこそこ面白い」状態が保たれているわけで、いわゆるライトユーザーにアピールするタイトルはここの部分のアドバンテージが大きい。
昔のゲームは非常に波があり、はっきり言ってしまえば「苦行の果てに一瞬だけ面白いところがある」というゲームが多かった。
硬いボスに連射し続けるシューティングしかり、不毛な言葉探しを続けるアドベンチャーしかり。それでユーザーがついてきたのは質的に新しい娯楽だったこともあり、また、「おなかが減るとご飯がおいしい」理論の応用だったからでもある。
最近は「おなかが減る」ストレスをわざわざかけてまでおいしいご飯を食べるグルメは格段に減った。昔(ローマ帝国ごろ?)の貴族は美味という快楽を追求して、「喰ったら吐く」までやってのけていたそうだが、そんなゲーム貴族は現代日本でも少数派である。
快感を底上げする方法は比較的簡単だ。一つの入力に対して快感が持続するように作ればいい(竜虎乱舞やぷよの連鎖など)し、もっと割り切れば、入力がなくても快楽を与え続ければいい。BGMのいいゲームは遊び続けたくなるし、背景のムービーが別種の快楽を与えてもいい(昔のLDゲームやR-TYPE FINALなど)。
ここで、TVゲームを作る人間が気にしなくてはいけないのはそのバランスだ。ゲームシステムが与える快楽は入力に左右される以上、ある程度ピーキーにならざるを得ない。そこでピークになったとき、底上げ分に負けてしまうようではそのユーザーがゲーム以外の娯楽に行ってしまっても文句は言えない。別にゲーム右翼を気取るつもりはないが、このバランス感覚だけは失わないようにしたい。