洋ゲーのストーリー性

ファミ通をみる。プレイヤーの心に残るのはRPGだけ、という気がしてきた。結局はゲーム性<ストーリーなのだが、実際はストーリー<キャラクター性ではないかと邪推する今日このごろ。
ここで思うのが、アメリカ的な良くできたストーリーと、日本的な良くできたストーリーはぜんぜん違う、ということ。
アメリカは凝ったプロット、巧みな伏線、派手なツイスト、リアルなキャラクター、複雑な人間関係などが条件だが、日本は凝った設定、魅力的なキャラクター、巨大なスケール、壮大なテーマなどが条件のような。
あと、根本的にアメリカのゲーマーは「現実のかわりにゲームに攻め込む」感があるのに対し、日本のゲーマーは「現実からゲームに逃げ込む」傾向が強く、だからゲームとストーリーの絡み方もまったく変わる。
アメリカは単位時間の密度が高く、現実的な世界のAADV。日本は拘束時間が長く、ファンタジー世界のRPG。『ゼルダ』なんかはちょうど中間点だが、ストーリーについてまったく評価の対象になってないのは製作者側の計算のような気がしてきた。