風立ちぬ

宮崎駿の前作『崖の上のポニョ』を観たときに、自分は

末期黒澤路線まっしぐら。『まあだだよ』まであと何作?

『崖の上のポニョ』

と書いたが、本作は黒澤の遺作である『まあだだよ』ではなかった。なかったのだが、やはり黒澤晩年の作品『夢』*1にとてもよく似ている。
黒澤の『夢』は、「こんな夢を見た」で始まる相互に関連のない(と思われる)エピソードによるオムニバスだが、こちらの映画でも、堀越二郎の現実の話と、彼の夢という体で語られるカプローニのエピソード、途中までほとんど妄想としか思えない恋愛のエピソードとが、かなり大胆なシーンの切り張りによって描かれる。
『夢』との共通点はその「断片化」の他にも、各エピソードが監督の頭から直接出てきたものである、という点にもある。自分のアイディアに対する批評の欠如、とでもいおうか。これらの傾向は『ハウルの動く城』以降の宮崎作品に顕著だったが、ここに至って遂に「映画かくあるべし」の呪縛から*2解き放たれたのだ、という見方もできそうだ。
「かくありたかった自分」として純化された理想像として描かれる主人公、宮崎駿流病弱気丈お姫様を煮しめたようなヒロイン、夢の人物であるカプローニとカストルプ、理想の上司として描かれる黒川、こちらも理想のライバルとして主人公を鼓舞するが一歩劣る本庄。これは、アニメーションを仕事にしてしまった宮崎駿が断念し夢想した、飛行機エンジニアと美少女に彩られた理想の世界だ。堀越二郎の伝記としての側面もあるが、基本的にはそれすらも作品の材料の一つにすぎないと思わせる、「理想の過剰」が本作にはある。
宮崎駿の理想像がダダ漏れだった作品といえば『紅の豚』だが、あちらにはまだ「人間の姿を捨てる」韜晦があった。美少女の求愛をあしらってみせる分別もあった。どちらもかなぐり捨てた本作は、タバコに煤けた画面以上に、けっこうアナーキーでインモラルな映画ではないかと思う。だがそれ故に、「ものをつくる男」全般に語りかけるものがあるとも思う。もう映画としてはムチャクチャだが、少なくともそのシンプルなエンジニア賛歌は、黒澤の『夢』より自分には届いた。古今、映画監督の引退宣言などまったく当てにならないが、いい引退作だと思う。おつかれさま、宮崎監督。

*1:まあだだよ』の前々作にあたる

*2:イコール、宮崎の演出の師である高畑勲から