殉死
司馬遼太郎『坂の上の雲』を原作としたNHKドラマを観た。
非常に見応えのあるドラマだったが、これを観て、いくつかの疑問が湧いた。大きいのは以下の二つ。
後者の疑問は、乃木希典の殉死に至る人生を洞察した本書によって解けた。そして意外なことに、前者についても本書において、作者はある程度、答えを提示している。
乃木希典は、長州藩の出だった。維新により上京した乃木家が住処と定めたのが、長府毛利家の元藩邸であり、ここは、あの赤穂浪士の一部が監禁され、処刑された場でもある。
「忠臣」蔵として有名なこの物語は、本書において、「忠臣」乃木の人生を一貫して脅かす、異常な通底音として彼を「殉死」へと導く役割を担っている。
作者が描く乃木希典像は、軍指揮官としての無能に加え、徹底して自己の世界にハマりきったナルシスティックな小心者だ。乃木は山鹿素行(山鹿流軍学の始祖)の陽明学に深く帰依し、その結果、ひたすら体面を重んじ、「帝を信仰」する古武士となった。それは開化期において日本で初めて花開いた科学的な合理主義、「国に所属」する職業軍人のあり方とに、まるで逆行する思想だった。
山鹿流軍学は江戸時代、諸藩で広く受け入れられた。乃木家の出自である長州藩もそうだし、「忠臣蔵」の赤穂藩もそうだ*2。そして陽明学は軍学とともに彼らの精神的支柱となり、「結果ではなく、多くはその死によって完成する動機の純粋さ」を尊ぶ、日本人好みの物語を生んだ。
司馬遼太郎はある意味、忠臣・乃木の殉死を、忠臣蔵の二番煎じである、と喝破したのだ。
そして乃木の死は思惑通り、大衆向けのエンターテイメントとなった。忠臣は死して軍神となり国民の規範となった。論理と合理主義の時代は明治末期にして早くも過ぎ去り、苔むした精神主義へと時代は逆行した。本書が最初の疑問「なぜ勝ち目のない戦争を遂行したのか」に答えている、というのはこのことだ。
そして今も、この精神主義は生きている。これを書いている自分にすら、乃木的なストイシズムと、その裏にあるリリシズム、ナルシシズムが存在することに軽いショックを覚える。
個人の評伝というより、昭和期の日本人論としてとても希有な本だと思う。司馬遼太郎らしい鮮やかな読後感とは無縁だが、作者の誠実と鬱屈*3をリアルに感じさせる「重たい」一冊。その割りにページ数がかなり少なく、一気に読める本なので、ドラマ版『坂の上の雲』を観た皆様も是非に。